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メキシコ172日目のつぶやき

なんで微妙な数字かって?

もともと、今年1月末に「110日目」の備忘録として下書きを残していた私。それからあっという間に62日が経過した。

現在参加しているプログラムは、10か月間(294日間)の研修事業だから、気づいたら折り返し地点もとっくに過ぎていたというわけ。たくさん考えることがあったのに、アウトプットを放棄してしまっていた。

今回のnoteは、滞在110日目の私が思っていたこと、そして172日目に思うことを短編でまとめて紹介したい。

110日目:そうだ、ここはメキシコだ

私は現在、メキシコ国立自治大学(UNAM)の外国人のためのスペイン語コース(通称CEPE)に通っている。一緒に学ぶ学生はみんな外国人。コースが開校される施設のなかは「メキシコ」ではない。

一歩外に出るとメキシコにある広大な大学が広がっている。

ある日の午後、CEPEの施設を出て、大学構内をインド人の学生と一緒に歩いていた。すると、前方から一人のメキシコ人男子学生が現れた。筋肉質でガタイが良い感じなんだけど、声をあげて泣いているの。それはもう激しい鳴き声で、アニメを見ているようだった。

「なんで泣いてるんだろう?」
親族が亡くなったんだろうか。大失恋でもしたんだろうか。それとも大切な何かをなくした、とか?

一緒に見ていたインド人にどう思うか聞いてみた。

「あれは正気じゃない。クスリか何かやってるだろう。」


私の常識では測れない世界がまだまだたくさんある。また、自分の常識の範囲内だけで考察することの危なさを感じた瞬間だった。

172日目:日墨の大きな差

これまでの生活で日本とメキシコとの違いを最も感じているのは、「対人関係」「コミュニケーションのかたち」だと思う。

私自身、日本に渡航経験があるメキシコ人に関心を持っているので、元国費留学生と話す機会が多い。そこではいつも、「日本の嫌いなところ教えて」と聞いている。

ある人は「納豆」とジョーク交じりに答えたが、ある人には「冷たい社会」と言われたことがある。

確かに、お店で分からないものについて尋ねると、「いや、そこまで聞いてないよ~」というくらい説明してくれる。ほぼ誰でも、何かを聞けば熱心に調べて答えてくれる。また、誰かが転べば周りにいた4、5人が一斉に駆けつける。「他人」との境界線が非常に薄い。


さらに、他の元留学生には「日本人の嫌いなところは、自分の考えを伝えないところ」と言われた。

メキシコで生活していると、メキシコ人が自分の感情や意思を示すことが得意だということがよく分かる。感情表現や意思表示がストレートなメキシコ人からすると、「日本人はなんて感情が分かりにくい生き物なんだ」と、思うのも無理はない。

メキシコでは「言ったもん勝ち」なところが結構ある。つまり、その反対はもちろん「言わないと負ける」。

”¿Bajas siguente?” (あんた次で降りる?)
満員電車に乗り込むと、ほぼ8割この言葉をかけられる。

「あんた次の駅で降りる?(降りないなら降りる私と入れ替わってよね)」
と聞かれて、降りない場合はどんなに混んでいても人と人との間を縫ってポジションチェンジが繰り広げられる。

日本人の私からすれば、「いや、言われなくても一旦電車降りて場所譲るやん」ってなわけなんだが、言わなきゃ伝わらない文化圏・メキシコの場合はとにかく言葉による意思表示が重要なのだ。

なので、ハイコンテクスト文化(=言葉以外の情報から思考や感情を読み取る文化)の日本とローコンテクスト(=言葉で伝達される思考や感情を読み取る文化)のメキシコとでは、文化のコンフリクトが起きやすい。

そんな日本人のことも好きになってもらいたいし、メキシコ人のことももっと好きになりたい、と思う。


と、まだまだ色々書きたいことがあって、言語化していかないと勿体ない気づきがある。

何よりも中米・メキシコが面白いのは、アジアを出て初めて触れる、西洋の立場やロジックでも表現できない「ラテン」らしさ。一方で東南アジアや東アジアとの共通点も感じられる懐かしさみたいなのが融合してるのも魅力だな〜。

4/1~9の大型連休でもう少し書けることを期待しよう。

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