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世界を越える、その前に
ヴォイドゲートを潜る方法を模索する中、私たちは一度休息を入れようとラストスタンドへと立ち寄った。
―ヤシュトラも通ってみたかった?魔法大学。
彼はテラス席から見える一際大きな建物、フェノメノン大講堂を指してそう言った。
フェノメノン大講堂…シャーレアン魔法大学が有する中でもっとも歴史が古く、大きく、
格式高いとされている建物…知の都を代表する最高学府の象徴。
ありとあらゆる知識を集積する賢学の塔。それがシャーレアン魔法大学だった。
「さぁ、どうかしら?通ってみたいと思ったことはあるわね。」
私…ヤシュトラはシャーレアンの出身であり、賢人位すら取得しているが、彼女自身はこの魔法大学に通ってはいなかった。
7歳の頃に魔女マトーヤに弟子入りして、それから10年間はマトーヤの下で修行の日々を送っていたからだ。
だから私にとってのキャンパスはいつも暗くじめじめと湿った洞窟の中だった。
それが…まぁ何度かは厭になったこともあるけれど、魔法大学に劣っていただなんて思ったことは一度だってない。
むしろあのマトーヤのスパルタぷりは私に生きる力と戦う力を授けてくれたと思っている。
それに…きっとシャーレアンの魔法大学に通っていたならばこうして暁として戦うこともなかっただろう。
―それじゃもし通っていたら、帰りに皆でお茶なんかしたり?
いたずらっぽく笑う。
学生としての私の姿がどうにも想像つかないようだ。失礼ね、だなんて。
でも、もし私がシャーレアンに留まり、この学び舎で過ごしていたとしたら、一体どんな人生だったのだろうと思い馳せることはあった。
マトーヤの下で修業を終えた私は、すぐにルイゾワ様の救世詩盟に加わった。世界を見て歩き、時に手を差し伸べ、そうして私は知識と力を蓄えていった。
だがあの日、カルテノーの戦いで全てが変わった。ダラガブの崩壊、バハムートの顕現。第七霊災はエオルゼア全土に爪痕を残し、そして我らが盟主をも奪い去っていったのだった。
それから数年後、ミンフィリアの名の下にかつての同志が集い、私たちは新たに暁の血盟として活動を再開した。
そこから先は…今隣で呑気にコーヒーを飲んでる彼…光の戦士と共にいくつもの蛮神を退け、世界どころか次元をまたにかけた戦いを潜り抜け、ついには比喩ではなく本当に世界の危機を救うに至ったのだった。
我ながら他人からこの話を聞かされたら御伽噺だと疑ってしまうような、そんな冒険の日々だった。
そんな私が、もしも、戦いとは無縁のこの場所で学徒としての一生を終えていたら…だなんて今は考えたくもないと思う。
―俺はちょっと見たかったかもね、ヤシュトラが学生服着てる姿も。
思わずキッと横目で睨むと、彼はごめんごめんと笑う。
その笑顔を見るとなんだかどうしても許してしまう自分がいることに気づくのと同時に、もし私がただの賢人としてこの地に留まっていたとしたら…
彼が世界の危機を救う為にオールドシャーレアンを訪れたあの時に、ただの私は一体どんな感情を抱くのだろう、とも考えてしまう。
もし、私が暁の血盟ではなく、ただのヤ・シュトラ・ルルであったのならば…
はっと思考に耽っていたことに気が付き顔をあげると、彼と視線が合った。
視力を失った両の目が、あたたかくやさしい、ゆらめく炎のようなエーテルを映し出す。
この目は欺瞞を許さない。否応なく、世界をありのままに映してしまう。暗いものも、眩いものも。だけど彼はいつだって、私のこの目が光を失う前から変わらず、あたたかく満ちていた。
その瞳をじっと見ているうちになんとなくむずがゆくなってしまい、思わず視線を外してしまう。
そんな自分の行動原理を理解できない程、うぶな少女でないからこそ、据わりの悪さを覚えてしまった。
―ヤシュトラ?
知ってか知らずか彼は不思議そうに私の顔を覗き込む。
レディーの顔をまじまじと見るなんて、マナーがなってないわよ。だなんて言いながら、今だけは暁の賢人という肩書を忘れてしまいたくなってしまう。
調べものの合間の、束の間の休息。
この時間が終われば私たちは再び冒険の渦中へと飛び込んでいく。
第13世界、ヴォイドと呼ばれる世界。帰ってこれる保証のない、未知の旅路。
まだ見ぬ世界に思い馳せると同時に、この時間が終わってしまうことに少しだけ、名残惜しさを覚えてしまう。
オールドシャーレアンは今日も晴れ。
暖かな陽気と、吹き抜ける潮風。ラストスタンドから香るコーヒーの匂い。そして彼の匂い。穏やかな空気が睡魔を誘い、うつらうつらと瞼が重くなるのがわかる。
―うん。
少しだけ、肩を借りてもいいかしら。そう言うより早く、彼は少しだけ席を詰めた。
―おやすみ、シュトラ。
本を閉じ、目を閉じる。よりかかった頭にはあたたかな感触があった。少し、もう少しだけ、この時間を独り占めしても…
「どう?どう!?ラハくん!」
柱の影からひょこっと耳付きフードが覗く。
その後ろでミコッテの青年がぽりぽりと頭を掻いていた。
「どうって…流石のオレでもあの雰囲気に割って入るのはちょっとなぁ…」
「ふふ、でもヤシュトラがあんな風にしてるところなんて初めて見たわ。」
どうやら光の戦士とヤシュトラに用があったらしい。
「…今はお邪魔しちゃ悪いわね。行きましょ!」
耳付きフードの女性はニコニコと笑顔を浮かべ、ミコッテの青年の背(と言っても腰辺りだが)をぐいぐいと押して歩きだした。
「ちょ、ちょっと!どこいくんだよ!オレは幻境について調べることが…うわぁっ!」
オールドシャーレアンは今日も晴れ。
街を行き交う人々を、サリャク像は変わることなく優しく見守っていた。