日本の偉大なる小説家一覧(1)

これらは読者が選んだベスト作家の一覧です。人気順ではありません。

竹下 文子(たけしたふみこ)

1957年、福岡県に生まれる。東京学芸大学卒業。1996年に「黒ねこサンゴロウ」シリーズ(偕成社)で路傍の石幼少年文学賞を受賞。主な作品に『みけねこレストラン』『きょうりゅう1ぴきください』『もしもし・・・』(偕成社)、『せんろはつづく』『ねえだっこして』「おてつだいねこ」シリーズ(金の星社)、『アフリカないしょだけどほんとだよ』(ポプラ社)、『クッキーのおうさま』(あかね書房)などがある。



与謝野晶子


明治11年(1878)12月7日堺県堺区(現大阪府堺市)甲斐町四六番屋敷で和菓子商を営んでいた鳳宗七・津祢を父母として生まれました。本名を志ようといいます。

晶子は、明治28年(1895)頃から歌を雑誌に投稿し始めました。当初は、旧派の歌を作っていましたが、河井酔茗や河野鉄南たちが中心になって結成し ていた浪華青年文学会(のち「関西青年文学会」)堺支会に明治32年に入会し、新しい短歌を詠いだしました。

当時の日本では、ヨーロッパの詩の影響で短歌革新運動が起こり始めていました。革新運動の主唱者の一人である与謝野寛(号鉄幹)は明治32年(1899) 文学結社「東京新詩社」を結成し、翌年に機関誌『明星』を創刊しました。寛は、結社への参加者や同調者を獲得するため明治33年に関西地方へやって来まし た。『明星』に作品を投稿するようになっていた晶子は、大阪で寛と会って彼の行動に強く共鳴するようになって上京し、明治34年には、二人は結婚しまし た。
 
彼女が明治34年に出した第一歌集『みだれ髪』は当時の多くの青年たちの心を捉え、「明星派」は当時の文学世界に大きな影響を与えることとなりました。

晶子が日露戦争中の明治37年(1904)に発表した長詩「君死にたまふこと勿れ」は従軍中の弟籌三郎の身を案じて詠んだものですが、内容が国賊的であると批判を受けました。彼女はまことの心を詠んだだけであると主張し、一歩も退きませんでした。

宮部みゆき

(1960~)は東京都生まれ。1987年「我らが隣人の犯罪」でオール讀物推理小説新人賞を受賞し、デビュー。1992年『龍は眠る』で第45回日本推理作家協会賞長編部門、2008年英訳版『BRAVE STORY』でthe Batchelder Award等多くの賞を受賞。語るべくもない偉大な作家。

→ 受賞作の頻度が偉大なので下記のリンク先を貼ります

佐藤亜紀


1962年生まれ。
成城大学大学院で西洋美術を専攻。専門は十八世紀の美術批評。
修士課程終了後、ロータリー財団奨学金を得て、フランスに留学。
1991年『バルタザールの遍歴』で第三回日本ファンタジーノベル大賞受賞。
著書に『戦争の法』『モンティニーの狼男爵』『1809』など。生い立ちについては不明。
ホームページは http://www.dccinet.co.jp/tamanoir/

中島みゆき(歌姫として有名なあの方)

(なかじま みゆき、本名:中島 美雪(読みは同じ)、1952年2月23日 - )は、日本のシンガーソングライター、ラジオパーソナリティ。北海道札幌市出身。1975年にシングル「アザミ嬢のララバイ」でデビューした。公式ファンクラブ名は「なみふく」。

オリコンにおいて、4つの年代にわたってシングルチャート1位を獲得した唯一のソロ・アーティストであり、他のアーティストへの提供曲が、5つの年代にわたってオリコンシングルチャート1位を獲得している(後述参照)。また、自身の歌唱も含めると、作詞・作曲を手掛けた作品が5つの年代にわたってオリコンシングルチャート1位を獲得したことになる。


 まだまだあるので連載スタートです

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