スポーツが「自分ごと」になるまで――灼熱カバディに寄せて

 灼熱カバディは、一度はスポーツから離れた主人公の宵越が、もう一度スポーツの世界で熱を取り戻していくまでの、再獲得と再発見の物語でもある。
 宵越がスポーツから離れた理由として、1巻に収録されている7話では、こんなことがモノローグとして語られている。

チームメイトの言う通り、結果が出てれば必要以上に必死にならなくていい。それが正しいと思ったらスポーツがつまらなく感じた。
チームメイトも俺が抜けたら困るからだんまり。周りが嘘臭くて嫌になったんだ。

 誰よりもまっすぐで、まっすぐすぎた宵越は、まっすぐでまっさらな畦道と出会い、彼に倒され、助けられる。先輩たちは手強い。そこに、彼が嫌った嘘はなかった。そして彼はようやく、「灼熱の世界へ」と戻ってくる。「忘れてたな…この燃える世界は、気持ちがいいんだ。」と共に。その熱は、彼自身のため、仲間のため、チームの為に向かっていくことになる。
 宵越がスポーツマンとして一流であることは、本人の言動や他の選手からの評価などによって示される。彼の持つ思考、まっすぐで熱く、光を宿した、それでいて冷静な目。自分の能力をカバディに生かそうとする熱意や競技に対する真摯さなど、宵越のスポーツマンらしさを表すエピソードには事欠かない。作中最強のレイダーであり、宵越の攻撃の師匠たる王城をして「スポーツに対する考え方は一流」と言わしめるほどだ。

 灼熱カバディに登場するのは、何も、スポーツが得意、あるいは経験豊富なキャラクターばかりではない。中でも人見。彼はスポーツ未経験で、なおかつ昔から運動は苦手だったことが幼少期の運動会のシーンから示唆されている。
 そもそも彼がカバディを始めたきっかけというのも、宵越がカバディ初心者だと聞いてのことである。しかし現実は甘くはなかった。そんな中で受け身で生きてきた自分を見つめ「悔しい」と涙を見せた瞳に、強豪校である英峰高校の2年生・若菜はある言葉をかける。「立派なスポーツマンじゃないの? 悔しくて泣ける人形がいるかよ。」と。
 人見がスポーツマンという概念を内在化していく過程は、簡潔だが印象深く描かれた。だからこそ、彼の選手としての活躍を願ってやまないし、そして彼の流した涙は決して無駄にはならないと確信をもって読み進めることが出来る。
 スポーツが多彩な視点から描かれることで、「スポーツとは何か」という命題はより多面的、立体的に浮かび上がり、そして物語られる。
 灼熱カバディは「積んでいる」ことに何よりも敬意を払う作品だから、「積んでいない」ことに対してはかなり厳しく描く。でも決して、努力や抱いた感情を肯定されないキャラクターはいない。

 高い身体能力と天性のセンスを持ち合わせている畦道だが、彼もまた高校でカバディを始めるまでスポーツ未経験だった。奏和高校との練習試合のあと、畦道は「練習の成果なんざ試合で発揮できねーのがザラなんだよ。」と宵越からスポーツの厳しさを教えられる。加えて、合宿編では、英峰高校の3年生である八代から、

技術は必死に考えて盗み、身に付ける。それがスポーツですから。
教えを乞う姿勢は素晴らしい。しかしそれだけでは未熟です。

と突き付けられる。その結果、畦道は八代の使っていた技術を盗み、若菜を守備で倒すことに成功するのだが、「スポーツとは何か」を自分から知るのではなく、周りから提示され、それを自分の中にインストールしていく過程が見えてくる。

 「スポーツマン」という言葉に着目して作品を読むとき、やはり能京高校カバディ部2年生・水澄京平は特筆すべきものがある。彼は元不良かつスポーツ経験がない中で(副部長・井浦に脅される形ではあったが)カバディを始めた。
 彼は練習でスポーツの楽しさに目覚める傍ら、試合では厳しさや悔しさ、やるせなさ、不甲斐なさも味わった。カバディでレイダーにタッチされた人間はコートアウトしなくてはならず、味方が点を取り返せばコートに戻れるというルールがある。このカバディ特有のルールゆえに、タッチされては王城がコートに戻し、という流れを強いられていた。そんな苦境を乗り越え、彼は3巻の練習で王城を守備として倒す。

あなたを倒せるこの力で…借りを返します!!!

 王城を倒したときの言葉。王城を倒したのち、結果的に水澄は王城に帰陣されている。しかし帰陣直後、王城に「意地の勝負にまでもつれ込むとは思わなかった。」という言葉をかけられている。王城をして意地に持ち込まねばならなかったことは水澄の選手としての成長の証だ。

 さらに合宿編。ここでは、埼玉紅葉高校が誇る最強の2年生・佐倉学が登場するエピソードである。7巻、能京は紅葉から、エースである佐倉からの攻撃を受ける。同じ2年生でありながら、そこにあるのは経験値の違いという冷徹な壁である。「同じ2年生だけど同じじゃない」という複雑さ。必然的に学年でくくられる学生スポーツの特性が、より一層それまで歩んできた人生、積み上げてきたものの重みの違いを際立たせる。

全国…日本一…って先輩は言うけど…どんな世界なんだろうな…
俺でもわかるのは、1度も負けちゃいけねーって事ぐらいだ。
だからどいつも…一切の手抜きはしねぇんだろう。
そうやって続けてきた人間に勝てるのか? 俺が勝ってもいいんだろうか。
でも 今、俺の身体が佐倉の回転を予測したのは、佐倉を倒しにいける、この状況になったのは…
…マグレなんかじゃないって、 …思ってもいいのかなぁ…

 水澄のこのモノローグで印象的なのは、「俺が勝ってもいいんだろうか」と彼が思っているところだ。常に勝利だけを追い続ける宵越や、勝つためには小賢しかろうと全部やると明言している王城などの言動をスポーツマン的であるとすれば、彼の抱いた感情はスポーツマン的ですらないようにも思われる。そんな中でも、彼は「マグレなんかじゃないって思ってもいいのかなぁ」と、自分が積み上げてきたものに対する誇りを滲ませながら佐倉を倒す。そして彼は、「見たか!! スポーツマン共…!!」と心の中で叫び、その熱を爆発させるのである。ここで王城が言う。「…もう君もなってるよ。」と。水澄がスポーツマンになったことは、本人の自覚によってではなく、王城の視点を介して示される。

 さらに11巻に収録されている大山律心戦では、水澄の心内の言葉として以下のようなものが登場する。

スポーツマンにもあったんだな…ケンカしなきゃいけねー時が!!

スポーツマンであるという自覚を水澄が持ったうえで、かつ彼自身の不良時代をカバディに昇華することで「意地」というアンティとしてのプレイスタイルは完成を見る。
 そして王城は、水澄に、「君がいて良かった」と言葉をかける。自分の中で「いない方がマシなんじゃ」とさえ思っていた水澄は、いつしかチームになくてはならない存在になった。

 そして奏和戦。大山律心のコーチとして水澄の守備に対峙した亜川は、水澄を「彼は冷静さも併せ持った、スポーツマンですよ。」と水澄の母親に語る。その上で、

水澄くんの恐ろしさは何度も襲い来る…この意地!!!

と評するのだ。本人の自覚と他者の視点を行き来することで、より水澄の一人のカバディ選手と輪郭は明確なものになる。

 灼熱カバディは、スポーツが、必ずしも得意な人間側から描かれない。スポーツを、天才だけのものにはしない。しかし、どのキャラクターにも共通するのが、彼らは皆立派なスポーツマンであることだ。そのことは、先述したように、プレイ中の他者の評価と本人の自覚の両面から語られる。
 奏和戦で登場した、名前すら明かされない1人の3年生のように、試合には出られない選手もいる。しかし、彼にもまた積み上げてきた3年間があった。同級生たちを見つめるその視界は曇っていたことは、おそらく読者だけが知っている。本人の自覚と他者からの評価に加えて、読者に明かされる情報という第三の視点も加えて、彼が「スポーツマン」であることが描かれる。

 カバディにおいて、レイダーはアンティに触れた後、指一本でも自陣に帰っていたら得点が入るというルールがある。帰陣はときにダイナミックに、ときに執念の権化のように、そしてチームメイトとの絆やカバディへの思いの強さの象徴として描かれる。同時に帰陣できなかったときの悔しさ、アンティ側から見れば帰陣を阻んだ喜びも描かれる。カバディは鬼ごっことドッジボールを足したようなルールと言われることもあるが、この「帰陣」はそれらとは一線を画す。カバディという競技そのものの面白さや、レイダーのプレイスタイルを描出すると同時に、あらゆる感情を炙り出す舞台装置としても、「帰陣」は機能している。レイダーは帰るために、アンティは阻むために。ベクトルは真逆だが、互いの陣地に注ぎ込むエネルギーが、一人一人のスポーツマンとしての強さのみならず個性を生み出している。

 「スポーツとは何か」、「スポーツマンとは何か」。これらのテーマは、まずすでに自分の中に確固たる考えを内在させている経験豊富な選手から、スポーツ経験のない、あるいは乏しい選手に「外在のもの」として提示される。その上で、練習や試合を通して、彼らは外部から提示された考えをインストールしていき、自分なりの考えに辿り着く。人見が足に感じる重みを「僕を強くする重さ」と感じ、畦道が自分の目指すべき強さを見つけたように。 

 これと同じ過程が、読んでいる側にも起こる。だからこそ、スポーツに興味のなかったはずの私は、ここまで熱中しているのだ。自分の中に確固たる信念を持ったキャラクターたちによって「スポーツは面白い」ということが示される。最初はただ咀嚼しているだけだった。しかし、実際の試合を見たりするうちに、自分でもスポーツは面白いと気が付くことが出来た。初めて、勝敗が決まるまでの道のりを楽しいと思えた。スポーツは私にとって、他人事から自分ごとになった。

 本当は奏和戦の感想も書きたいところだが、それは後の記事に譲ることとして、今日はここで筆を置くことにする。

 

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