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マスメディアは余裕がない?
引き続き去年の2月の保存記事を見ていきます。
貸金庫の金塊窃盗事件で話題の三菱UFJ銀行ですが、去年の今頃はこんな記事が出ていました。「形式的な事前説明」=根回しを廃止することが見出しとなっています。
記事によれば、行内での会議の実態は・・・
会議の1カ月前から準備をはじめ、1週間前に資料が完成。役員の質問に答える補足資料を含めると数十ページに及ぶ
10人以上の関係者を回って本番の会議で異論が出ないよう調整
当日の会議は説明の後、幹部から簡潔なコメントがあって終了
こんな内容が多かったようです。
記事では、「社内向け業務が減った分は新事業の立案や自己研さんなどにあててもらう」としています。
この記事を読んで思うのは、こんな会議や仕事は日本中のあちこちにあるのではないかということです。永田町や霞が関も似たようなものではないでしょうか。
「議論が必要」「対話が重要」とよく言いますが、それが単なるアリバイづくりに終わってしまっては元も子もありません。民主主義的にも、生産性の向上の観点からも。
米テック企業では「20%ルール」と呼ぶ業務時間の2割を普段と異なる仕事に充てる制度を採用し、アイデアを拾い上げる組織運営に知恵を絞る例もある
上記の「20%ルール」を見ると、羨ましいなぁと思ってしまいます。今の仕事でそんな余裕は全くないからです。時間の余裕、心の余裕。
もちろん、生まれた余裕によって何をするのかも重要ですが、余裕がなさすぎるような気がします。特にマスメディア。この余裕のなさも、現代日本の大きな病いの1つと言えるのかもしれません。
続いては、起業に関する記事です。
従来の手法が「ターゲットの市場を定め、逆算して事業計画を練る」ことだとすれば(コーゼーションというそうです)、記事で紹介されているエフェクチュエーションはその逆。「手持ちのスキルですぐに始められる事業を立ち上げ、その後に経営方針を柔軟に変えていく」ものだそうです。
うだうだ考える暇があったら、まずはやってみなはれ。
走りながら考えろ、ということなのでしょうか。
さて、去年の2月後半ごろから徐々に増え始めたのが日経平均バブル超えのニュース。それに関連して、「失われた30年」について論ずる記事も増えてきたように感じられます。
こちらは、当時の政治状況と今とが「似ている」とする記事。
『日本の経済政策』という圧倒的名著を書かれた慶応大・小林慶一郎教授のコメントが紹介されています。「当時と似ているのが心配だ」。
90年代前半は銀行の不良債権が大きな問題となっていましたが、折しもその頃はリクルート事件などからつながる政治不信の高まりがあり、「政治改革」が叫ばれていました。
その結果、献金の仕組みが制限されたり、政党助成金の制度ができたりしたほか、小選挙区比例代表並立制の導入など、さまざまな改革が行われました(もっとも、この頃に十分詰めきれなかった部分があったために、最近の派閥の政治資金問題が温存されたと言われています)。
こうした政治改革に大きなリソースを割いてしまったために、不良債権問題への対応が先送りされてしまったと小林教授は指摘するのです。
小林氏は上述の著書の中で、「不良債権問題への対応という極めて非チャレンジングな仕事が2000年代にまで尾を引いたことが、日本の働き盛りの企業人の成長を阻害した」とも指摘しています。(=それこそが、全く成長しなかった失われた30年の本質的な原因だと)
それはさておき、去年から、そして今に至るまで「政治とカネ」の問題は国会論戦の中でも中心的なテーマの1つであり続けています。テレビや新聞もこの話題を追いかけていますが、小林氏が「心配だ」と指摘するのは、こうした政治改革に再びリソースが割かれてしまうことで、先送りされる重要な問題があるのではないか。記事では、その一例として「人口減少下の成長戦略、財政・社会保障の持続性確保など」が挙げられています。
政治改革ももちろん重要ですが、人々の関心、マスメディアの関心が一点に集中するほど、その周縁で何が起きているのかにも目を凝らす必要があるのだと感じます。