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そのままのあなたが最高だと言えるように

1歳3ヶ月の息子は、まだひとり歩きをしない。とはいえ、ずりばいもハイハイもなかなかのスピードと力強さだし、ときどきつかまり立ちの手を離している。のっしりといい安定感。でも、そこから足を踏み出そうとはしない。

それに加えて息子は、人見知りが強い。10ヶ月、11ヶ月ごろに一旦弱まったものの、1歳1ヶ月ごろからまた強くなって今に至る。祖父母の来訪で2時間泣きとおしたり、親子教室で45分泣きとおしたり、取り付く島もない泣きっぷりである。みんな気を使って、おもちゃなどで気分を変えようとしてくれるのだが、ひとたび人見知りモードに入ってしまったらわたしにもなすすべはない。

わたしはこれらのことを、息子の特徴だとは思っているが、問題だとは思っていない。早く外の公園を一緒に歩けたらいいな、と思うし、親子教室をもっと楽しんでくれたらいいな、とは思うけれど。


ときどき、そんなわたしの気持ちを試す人が現れる。
「あなたと(弟)は、1歳1ヶ月で歩いたわよ。まだ歩かないの。困ったものよねぇ」
「そんなに人見知りがひどいと、保育園いけるのか心配だわ」

すべてを悲観的に解釈するのは、わたしの母の得意技である。問題を生み出して、解決策を並べ立てないと生きた心地がしないらしい。そんなこと望んでないのにな、と一方的なメッセージが綴られたスマホの画面をそっと閉じる。


反対に、わたしの気持ちを後押しする情報が目に入ることもある。
たとえば、歩き始めるのが遅い子どもの方が、優秀に育ったという話。「這う」という発達段階をしっかり踏むことで、筋肉系の活動が刺激され、脳細胞も発達するのだとか。

また、赤ちゃんの人見知りは、単なる「怖がり」ではなく、「近づきたい(興味がある)けど怖い」、という「葛藤状態」が原因であるという話。**
好奇心があるからこそ、葛藤の末に人見知りの反応を示してしまうという説明は、息子に当てはまっているように感じる。単なる臆病ではなく、好奇心ゆえの苦労なのだ。

こういう情報が集まってくるのは、わたしが「ありのままの息子を受け入れたい」という意思を持っているからなのだろう。誰がなんと言おうと、歩きはじめるのが遅くたって、外で泣きまくったって、息子は最高だ。これから先、勉強ができなくても、運動ができなくても、その他なにかの優劣で息子の価値を判断したりしない。

意志あるところに道は開ける。そのままの息子を最高だと言いつづけられるように、情報だって集まってくるのだ。


(参考文献)



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深水 ゆきの
最後まで読んでくださってありがとうございます! 自分を、子どもを、関わってくださる方を、大切にする在り方とそのための試行錯誤をひとつひとつ言葉にしていきます。