すべてを満たせなくても
息子と2人で日中を過ごすことが増えた。1歳2ヶ月まで一緒に育休をとってくれた夫が、職場復帰したから。おのずと1人で回す家事の量が増え、息子を1人で遊ばせておく時間が増えた。
わたしのいるところを敏感に察知しては、やってくる息子。キッチンではあちこちの扉が開くたびに中をのぞきたがり、閉められると怒る。洗面所では、洗面台の水を触りたがるが届かない。廊下につづく扉がひとたび開けば、閉じられるのを嫌がる。
家事をしようとすればするほど、息子は来てほしくない場所に進出する。行動を止めざるを得ないことが増える。向かい合って遊ぶ時間が少なくなる。
息子の欲求を満たせない自分が、いやになる。彼が親から愛されていることを、感じられるか不安になる。でもそこで、ふと気づく。子どもの欲求をすべて叶えられる親など、どこにもいないことに。
これまでが、例外だった。大人2人がかりで家事と育児をしていたから、息子と接するときは大抵かかりきりになれた。100%ではないかもしれないけれど、息子の欲求にかなり応えられている自負があった。
赤ちゃんがこの世界を安心できる場所だと知るのは、泣くたびに親が欲求を満たしてくれるからだという。わたしが親との関係の中で育めなかった安心感。それだけは息子に育みたい。気持ちが強かった分、彼の欲求を満たしている割合が減っていることに狼狽した。
とはいえ、息子の成長と共に、わたしの叶えられる欲求の割合はどんどん減っていく。いつまでも新生児のときのように、彼の欲求のすべてを満たせるわけじゃない。それが直接、愛着障害の原因になるわけではない。
大切なのは、愛をつたえること。それも、子どもの成長に応じて、受け取れる形で手渡すことなのだろう。最初は欲求を満たすことで。その先は、言葉や態度やさまざまな方法で。正解も終わりもない試行錯誤なのだろう。
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