祈りは明日への希望
昨日までのブータン旅行記はこちら。
チベット仏教を国教とする世界で唯一の国、ブータン。
日本人よりもブータン人の性善説を信じられるくらいのやさしさ、おもてなしに触れる日々。
そんなブータン人たちの根底にあるのはもちろんチベット仏教の教え。
奪わない、嘘をつかない、自分だけの幸せよりも周りのみんなの幸せを考える
という、ほんとに素晴らしい教えをみな体現しているのだ。なんちゃって仏教徒のわたしはといえば・・・自分の幸せ一番。その次に自分の知り合いの幸せと完全に私利私欲に走っている。こんな自分勝手な日本人女のためにみな一所懸命おもてなししてくれると、なにかわたしもせねばという気持ちになる。
優しい気持ちはみなを幸せな気分にさせてくれるのだ。
何かしたい!何か恩返しがしたい!役に立ちたい・・・と早速、朝5時に起きて、1階にいるであろう推しのニマとチュキママにまずは朝のあいさつとばかりに、トントンとリズムよく階段を下りる。
が、リビングにいない。ありとあらゆる扉が開け放たれているところをみるともう起きているのは確実。
家の外にいくと焼却炉から煙が出ている。
ティンプーでも「豪快すぎる線香の巻」で書いたように、朝日が昇ると同時にお香を炊いているのをあちらこちらで見た。チュキの家では立派な白い香炉があり、毎朝、葉っぱをお香として炊いている。
もう出遅れている。何か何かお手伝いがしたい。実家の母親も毎朝仏壇にご飯やお水をお供えしている。同じ仏教、ブータンでも何か毎朝のルーティンがあるに違いない。
大きな仏間がある離れに向かう。
仏間のための平屋だ。ブータンに仏教をもたらしたグル・リンポチェ(パドマサンババ、ウゲン・リンポチェとかいろんな名前があってややこしい)やブータン建国の父ガワン・ナムゲル(シャプドゥンともいう)、そしてブッタが祀られている。
邪魔をしないようにそ~っと覗いてみるとニマ発見。
「おはよう~」
と声をかけると、くるりと振り返りかわいい笑顔で
「おはよう、早いね」
「ニマは今日は正装しているんだね。何か特別なことがあるの?」
「仏壇を掃除しているときはきちんとした服を着ないといけないんだ。準備が終わったらまた着替えるよ」
とせっせと掃除している。足元をみて笑った。
「なんでスリッパはかないの?」
「こうやって歩けば、床もキレイになるし一石二鳥」
といたずらっぽい笑顔を見せる。
ニマの写真ばかり撮ってても何の役にもたたない。
「何かお手伝いできることあるかな?」
「ゆきんこはゲストなんだからゆっくりしてればいいのに」
「かなり寝たから大丈夫、なにかできることあればやらせて」
するとホーリーウォーターを器いっぱいに入れてほしいという。
ホーリーウォーターとはお清めの水。寺院にいくと手にホーリーウォーターをそそいでくれる。それを少し口に含んで飲み、残りは髪にかけたりする。このホーリーウォーターの惨劇のお話はまた別機会にじっくりと。
ホーリーウォーターはただの水のときもあるが、香辛料をいれたり、アクセントでお花を置いたりと各家によってさまざまなスタイルがあるよう。ゲレプは南国インドに近いからかハイビスカスを入れたりして彩り豊か。
仏壇と向かい合うように置いてあるのが僧侶が座るイス。テーブルの上にはホーリーウォーターをいれる仏具もスタンバイ。
ゲレプに到着した時にチュキがかけてくれた白い布がここでも巻かれている。
朝のお勤めを粛々とこなしていると清々しい気持ちになってきた。
せっせとホーリーウォーターを注いでいるとチュキママがやってきた。
英語が話せないので、二人してニコニコとしあうだけだがいわんとしていることはわかる。
「朝からえらいね」
といっているようなニコニコ顔だ。
するとニマが何やらごにょごにょとチュキママに話かける。するとチュキママが手招きをした。指さした先をみるとどろっとした液体、そしてこの独特の香り・・・バターランプの元、いわゆる溶けたバターだ。
ブータンの寺院では今でもほとんどバターランプを使う。寺院に入るとむせかえるようなバターの香りが充満し、おなかいっぱいだとウッとなってしまうほどバターまみれになるのだ。
このバターランプ作りを一緒にやろうということらしい。チュキママがバターランプの仏具を並べていく。わたしはやかんに入ったバターランプの元を注いでいく、そしてニマがバターランプの芯?こより?をちょんとのせていく。
あとは固まるのを待つだけ。こんなにたくさんのバターランプを作って毎日バターランプに火をともすのか?バターがもったいないと思ってしまう自分が嫌になる。
「バターは余ったらどうするの?」
するとニマが笑いながら
「バターだからね、食べられるよ。料理に使ったりもするかな」
貧乏性、捨てないと聞いて一安心。
「それにしてもバターランプをこんなに作ってどうするの?」
するとニマがチュキママの言葉を訳してくれた。
「3日後は満月。満月のときはラマ(僧侶)を呼んでお経を唱えてもらうんだ。そのときはバターランプをたくさんともすんだよ。あと満月の日は豆を焼いてみんなの幸福を祈るんだ」
だから外に豆が干してあったのかと納得。
手伝いをしているのか、ただ二人の邪魔をしているのかわからなくなってきた。するとチュキママがバターランプに火をともし、仏間を一周し始めた。
そして、バターランプを額まで掲げ、熱心にお経を唱え始める。
するとニマが一つのバターランプに火を灯し、わたしに手渡してくれた。手をチュキママのほうに向け、同じようにやるといいといったジェスチャーをして仏間から出て行った。
正しいお祈りの仕方は知らない。ただただチュキママの真似をする。まずは仏間を一周し、バターランプを額まであげ、お経はよくわからないからゲレプでお世話になっているチュキ一家の幸せを祈る。バターランプを額から胸に下げ、床に置く。膝をつき座り、一度お祈りをしたら腕をまっすぐに伸ばし、額を床につける。この一連の作業を3回行う。
最後の3回目が終わるとチュキママがやさしい笑顔でわたしを見守っていてくれた。
祈ったあとのこの満たされた感じはなんなのだろう。体の奥底からエネルギーが湧き出てくるような気さえする。
ブータンには家の中に仏間があるのはもちろん、街中の至る所にマニ車があるように「祈る場所」がある。ちょっとコンビニに行くくらいの気持ちで祈りにいくのだ。
祈る場所でもあり、人々が集う場所でもあり、リラックスする場所でもある。何かを熱心に祈るということではなく、生きている今の幸せをやさしい気持ちで祈っているそんな感じがした。
祈るといえば、受験に合格しますように、いい人とめぐりあえますように、病気がなおりますように・・・といった自分の願いを叶えるために祈るイメージがあったが、そうではなく、今この瞬間を祈る、そして明日への希望を祈る、ブータン人の「幸せ」は「祈り」からきているのではないか。
「祈りとは人間が健やかに生きていくために必要なもの」そんな気がした朝のお勤めだった。