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なんとかさねば成らね~べ秋田

2022年はありがたいことに自分からがりがり営業しなくても、依頼が殺到は言い過ぎだが、
「一週間することナッシング」

なんて日がなく、かなり追い込まれていた日々。ライブも予定が立たずにいけず、本を読めば、数秒で寝てしまうほど疲れがたまり、あげくの果てに健康診断では、要精密検査が4つという結果が出て、せっかく稼いだのに病院代で消えた年末。健康にまさる節約はないなと実感した年だった。

そんなわけで、今年はただただ好きなことを思いっきり書く年にするぞ~と年始のあいさつで母親に宣言したら

「ねえねえ、秋田魁新報の連載とかやったらどう?」

と、どこから突っ込んでいいかわからない提案をされた。

1.忙しすぎたから金銭うんぬんじゃなくリラックスして書きたいといっているのに、めちゃくちゃ考えなくちゃいけない仕事の提案
2.地方新聞とはいえ、新聞の連載なんて相当著名なエッセイストじゃないと依頼はこないのに、どこぞのだれかわからないツイッターやインスタのフォロワーも雀の涙のライターにおいそれと書ける場ではない
3.自分がいかにマウントを取りたいかしか考えていない

というのも、昨年、秋田魁新報のとある作文募集で入選なんてしちゃって新聞の一面の下に大々的にのっちゃったもんだから調子にのっているのである。

執筆したWEBサイトをラインで教えたり、雑誌や本を送ったりしたときはさほど興味も示してなかったのに、新聞は別格のようで、友人、知人、親戚、はたまた地方にいる親戚や友人には送りつけるほど、自慢しまくり、その都度皆さんから電話やらラインがばんばんきて

「ゆきちゃん、すごいね!」
と相当、褒められたらしい。

そもそも、あんたが書いたわけじゃない。と言いたいが、普段、寡黙な栄吉(父)でさえ、お友達から連絡があって、遊びにいったところ

「娘さんいい子だね。いや~あったことがないけど、こんな文章書くならいい子に決まっている。親孝行な娘がいてうらやましいよ」

とかなんとか言われたらしく、天狗になって帰ってきたらしい。

そこまで両親が喜んでくれるなら、親孝行するべく、連載したい。親孝行の前に、新聞の連載なんて文筆家名乗っているくらいだからやりたくて仕方ない。しかし、今まで興味の赴くままランダムに、旅行、IT、地方創生、農業などなど、あらゆるジャンルを執筆したせいで、どうもこれというのがない。

いや、待て、エッセイは何かに特化しなくてもよいはず。とはいえ、いきなり秋田魁新報にメールか電話で
「作文に入選したものですけれども、エッセイかけまっせ~」
なんて営業したところで、
「は?どちらさま」
がおちである。

次なるは実績。とばかりにnoteを借りて、仮に秋田魁新報で週1連載が決まったと仮定してエッセイをつづることにした。
その名も「なんとかさねば成らね~べ秋田」

じいちゃんがよく「なんとかさねばね~な」と言っていたことからインスパイア。
意味は、なんとかしないとこれはまずいな~といったところで、古い家の修理やら、畑、じいちゃんの趣味の鶏やら犬やら鯉やらの世話をするときによく言っていた。

あと、為せば成る→やる気があれば必ずやり遂げられる→秋田魁新報に連載ができるという意味もこめた。

秋田をなんとかさねばね~な、だからこれやっぺ?みたいな提案から、お母さん、近所のじいちゃん、ばあちゃんから教えてもらった秋田、県外にいるからこそ見える秋田などなど、つづる予定。

なんか書いているとおもしぇくなってきたどー!てことで、せばまんず!(←秋田弁でじゃあ、またね)

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