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貧乏性は”すぎる”のがよくない
ソフトボール部に所属し、毎日汗をかきかき白球を追っていた高校時代。焼肉、お寿司食べ放題に行くのが楽しみの1つだった。
食べても食べても終わりがこない食べ放題。胃袋にどんどん詰め込んでもすぐに消化して、どんどん際限なく食べられる食べ放題。さらにはスイーツ、アイスまでストップがかからない幸せ。食べ放題のシステムを考えた人すごいなと感心したものだ。
20代のころはスイーツブッフェにはまった。色とりどりのかわいいスイーツが所せましと並べられ、好きなだけ食べられる幸せ。生クリームもりもりのショートケーキは最高だった。
あれから20年と少し。見た目はおろか胃の老化が甚だしく、食べ放題に行こうという気が起きない。以前はホテルの朝食ブッフェも大好物で、朝食ブッフェがあるホテルを選ぶほどだったのに、今や食べれないうんぬんの前に取りにいくのさえめんどくさいと思っている。
自分でお金を払ってまで行くことがなくなった食べ放題だが、取材で久しぶりにブッフェスタイルで和洋食+スイーツをいただくことになった。
焼きたての和牛や海鮮丼、色とりどりのサラダまでは調子がよかった。おいしいものはいくらでも食べられるなとほっぺたがとろけ落ちていた。
この調子でスイーツもいけるぞと、クランベリータルト、チーズケーキ、チョコレートケーキ、モンブラン、シュークリーム、ショートケーキとお皿にかわいく盛り付け、コーヒーもスタンバイして食べ始めた。
一口サイズだからぺろっといけると思っていたのが間違いだった。一つ目のクランベリータルトはよかった。2つめのモンブランは中にクリームがたっぷり入り、コーヒーで胃の中に押し流してもまだ甘さが残る。3つめは大好物のショートケーキ。いちごが適宜スポンジの中にはさまり、ほどよい酸味が生クリームの甘さを中和してくれるものの、生クリームの胃の中の占拠感が半端ない。そして、3つ目のシュークリーム。口の中でとろける生クリームが自慢とかなんとかいっていたが、口の中でとろけても胃の中でとろけない。コーヒーの苦みでなんとかなるものではない。いつもはコーヒーで〆るのだがさっぱりウーロン茶の手を借りることにした。
もうすでに胃の中がわっしょいわっしょいしていたのだが、貧乏性ゆえとってきたものを残すわけにはいかない。一口サイズなのに濃厚すぎて胃がもたれるチョコレートケーキとチーズケーキを無理やり流し込み、最後はおなかがいっぱいすぎてずっと前のめりで座っていた。
おいしかった和牛やカニ、ホタテ、いくらの海鮮丼の記憶は薄れ、生クリームの甘さともったりと垂れ下がった胃の感触だけが残った。
食事は腹八分がちょうどいいというがまさにそのとおり。満腹の少し手前でやめておき、また食べたいという記憶を残すのがいいのだ。食べすぎて、おいしかった記憶が抹消され、苦しかった記憶だけが残るともうしばらく食べたくないとなる。それはそれでデトックスになっていいんじゃないかという考え方もあるが、健康に健やかに過ごすためには1日3食ほどよく食べるのが一番いい。
何事も”過ぎる”のはよくないのだ。
最近、ネットニュースを見ると
美しすぎる
イケメンすぎる
おいしすぎる
なんていうあたかも美しいのはよし、イケメンはよし、おいしいのはよし、すぎるのはすごいのだ!みたいな風潮があるが美人は3日であきるなんて言葉があるようにやっぱりすぎるとよくないというか、苦労も多いのではないかと美しすぎない自分は思うのである。
おいしすぎてもしかり。おいしくて食べすぎるともういいかと思ってしまい一過性の流行りでおわってしまう。
そもそもすぎるとは、程度が必要以上でよくないという意味がある。
”食べすぎ”て、後悔している今。わかっているものの貧乏性は残せない。であれば、自分の腹八分を知り、”とりすぎない”ことを心がけねばならぬと思う。
小さいころじいちゃんに「いたずらがすぎる」とよく怒られていたことを思い出した。やはり何事も”すぎる”のはよくない。
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