シュレッダーにいれるたびにあやまる
GWはどこもかしこも混んでること間違いなしなため、実家に早くからこもるか、家にこもって断捨離するかどちらかにしている。
今年は家にこもって断捨離と多肉植物ちゃんの株分けで終了。あっという間だった。
仕事柄、プリントアウトして読んだり確認することが多いため、1年に一度きっちり片づけないと大変なことになるのだ。
今朝も朝からミニシュレッダーでウィンウィン言わせながら、細切り作業。
単なる資料なら罪悪感もなく、シュレッダーできるのだが、毎年、謝りながらシュレッダーにかけるものがある。年賀状だ。
日々連絡したり、1年に一度あったりしている人とはもう年賀状じまいをしているのだが、
「今年こそ会おうね」
と決まり文句しかこない年賀状がまだあり、その友達はラインも交換していないため、年賀状を返さざるをえない。
「年賀状じまいします」
といえばいいのだが、なんとなく言いにくい。
毎年、毎年、年賀状がたまってきてさすがに今年は捨てることにした。文字だけならいいのだが、困るのが幸せ家族写真。
家族を分断してしまうシュレッダーなんてかけていいもんだろうか。
今年一のかわいいわが子の写真を送ったのにシュレッダーかけるなんてひどい!なんて思われないだろうか。
つか、自分の顔がシュレッダーにかけられるって、なんか恨みでもかいました?と思ってしまう。
が、そんなことを言っているといつまでたっても捨てられない。
今年は意を決してシュレッダーにかけた。
1枚1枚見つめながら
「かわいいポーズなんてするあざとい子にならなくていいから、ただただ元気に育ってね」
と言いながら、シュレッダー。
1年に一度のあいさつくらいと思うが、エコだの、SDGsだの、サスティナビリティだのいっている今の時代には年賀状ももういらんかもしれない。昔の写真も山のようにあるが、もうデジタルでいい気がする。とかいいつつ、毎年、整理整頓しながら同じ写真をみて
「あ~懐かしい。ここ楽しかったな。あ~また会いたいな」
なんて思いながら気分が高揚する。
結局、写真は自分の自己満足で他人にとっちゃシュレッターものなのだ。と思いつつも自分が存命のうちは捨てられない。
なのに年賀状は捨ててごめんなさい。この場をお借りしてお詫び申し上げます。