毒親からの解放ストーリー (51)
ヒロシが帰った後、母は以前にも増して私に気を使っているように見えた。私の人生の中で、母親からこのように気を使ってもらった経験がなかったので、気持ちが悪くて何だか落ち着かない。
用を頼む時も常に命令口調だった母なのに、今では
「すまないけど、お手洗いに連れって行ってくれないかしら」
などと言ってくる。一般的な親子関係ならば、親は身体が不自由になったりして、子供に何か手伝ってほしい時には、このような言い方が一般的だろう。
しかし私が子供の頃の母は一方的な命令と、自分の憂さ晴らしのために、幼く無抵抗な私にいつも頭やお尻を叩くといったような暴力をふるって来た。なるべく外から見えない所を狙って叩くのだ。だから私の身体には暴力に対する親和性が自然に身についているのかもしれない。だからヒロシや、メグミという女に手を挙げられそうになった時に、防御反応として相手をこっぴどくやり返そうという無自覚な行動が暴力と結び付いたのだろう。
やはり私も母の子なのだとしみじみ感じた瞬間だった。
そして近いうちに訪れるだろうヒロシの襲来に備えて、新たに母の居室に盗聴器を仕掛けておいた。防犯カメラはすでに備えてあるが、映像だけで、音声はない。ヒロシはきっと私がいない時に誰かを連れて、新しい遺言書作成のため母に無理やりにでも書かせるつもりだろう。現在の母の状態では自力で署名捺印は出来ない。ヒロシが自分に有利な遺言書に作り上げるためには、どうしても必要な母のサインなのだ。
だからその時に備えて、映像と音声があれば、その遺言書が無理矢理書かされたものであって、正規な遺言書ではない証明になる。ヒロシの考えを推測することは簡単なのでそれの対抗措置さえ用意しておけば、例え裁判になったとしてもヒロシ如きに負けることはないだろう。
弟とフィアンセと称していたメグミは私の前にその姿を現すことがなく季節は静かに過ぎていった。そして暮れも押し迫った夕方、母のケアマネージャーからメールが届いていた。暮れから新年にかけてクリニックは例年一週間程の休みを取る。だからその前に薬だけを取りに来る患者さんが多数来院する。またインフルエンザや急な体調不良を訴える患者さん達も来院するのでクリニックは慌ただしい時期を迎える。そのため暫く実家へ行く暇がなかった。その間の母の介護は、ケアマネージャーとヘルパーさんに頼んでいた。
ケアマネージャーからのメールにはこう書いてあった。
「予定通り、ナカイミドリ様のお宅へ訪問介護に伺いましたが、本人不在でした。キーパーソンである田中先生はお母さまを施設に入所させたのですか」
というメールだった。
これを読んだ私は、すぐにヒロシの仕業だと推測できた。きっと彼が母を拉致して老人病院か老人ホームに強制的に入居させたのだろう。すぐに実家に向かいたかったのだが、年の瀬でこちらも身動きが取れない状態だ。とにかく年が明けたらヒロシに母の居場所を聞くとしよう。