〜だっせん〜12 父の絵日記を紐解く“少年の昭和史”① -みまさかぞく#028
父が小学2年生の頃の、夏休み絵日記が出てきました。昭和33年のものです。少し劣化していますが、クレヨンの色もしっかり残っています。A3サイズ。読んでみると、田舎少年が昭和の夏休みを満喫する様子がイキイキと伝わってきました。また、先生の優しいコメントに心温まる瞬間も。
《解説コーナー》も作ったので、楽しんでご覧いただけたら幸いです。今回は2日分です。
1.表紙に記されていること
編集 日本文教社編集部
発行者 吉田徳太郎
発行所 日本文教出版株式会社
岡山市細堀33
定価25円
【えにっき】
⭐︎えにっきは、くちでおはなしすることをえや、じでかくのです。
⭐︎そのひのことを、おもいだしてかいて、せんせいや、おうちのひとに、みせてあげましょう。
⭐︎まいにち、つづけてかくと、なにごともちゅういぶかくなり、さくぶんも、ぐんぐんじょうずに、かけるようになります。さあ、みなさん、おはなしするように、なんでも、えにかいてみましょう。
先生より
まいにちのくらしのようすが、たのしくいきいきとかけていたので、よんでいくうちに、うれしくなりました。とても、りっぱです。
お休みでない日も、なにかあったときは、日記にしておくといいですね。もしか、これからも、日記がかけたらみせてね。
2. 7月21日(月)曜日 天気(はれ)
《原文》
ぼくは、にいちゃんと、みえさんと、ようちゃんと、よっちゃんと、川へおよぎにいきました。にいちゃんと、よっちゃんは、ふんどしをして、ぼくはパンツで、およぎました。およいだら、なみがたちました。
《解説コーナー》
ズームアップすると!
(地元、湯郷温泉は別名、鷺温泉と言われる通り、鷺をよく見かけます)
↑この写真を撮影したのは2022年9月末なので、彼岸花が咲いて水も少し冷たそう。夏は気持ち良かったでしょうね。私も幼い頃、父とこの川で遊んだことがあります。
田舎の川は、大雨で形状がよく変化するけど、この川はあまり変わりません。深い部分も昔から変わっていないから、ここで泳いだら波がたつかな。
絵日記でよく出てくる、にいちゃん。後ろのメガネの女性は母(私の祖母)です。みえさん、ようちゃん、よっちゃんもこの写真にいます。
この写真は地区の子ども会旅行のもの。子ども多い!当時は10戸以上あった家も、現在は7戸、子どもは0人です。
……… ✳︎ ……… ✳︎ ……… ✳︎ ……
3. 7月23日( )曜日 天気(はれ)
《原文》
けさ、にいちゃんと、バスにのって、つやまへ行きました。いきがけ、ばすが、きゅうにとまったとおもうと、ぱしんと、ゆう、おとがしたので、なにかと、おもうと、じてんしゃを、とばして、女の、人は、たすかったけれど、じてんしゃをめぎました。
《解説コーナー》
※めぎました→壊しました。
父に訊くと、当時、湯郷から津山へ行くバスは「神姫バス」とのこと。この路線は2009年に廃止されました。
神姫バスといえばこの色。↑写真のバスの色と、↓父の絵日記のバスの色は似ています。
4.昭和30年代の美作を回想する①
父が生まれたのは昭和26年。昭和30年代〜日本は高度成長期。三種の神器(テレビ、冷蔵庫、洗濯機)が一般家庭に普及した時代です。
その頃の様子を、町史と父へのインタビューからお話したいと思います。
以下の写真は、『美作町史 写真編』から引用しました。
昭和28(1953)年に美作町が誕生。(町村合併し美作市になったのは平成17(2005)年)
看板には「目出たく生まれた美作太郎、足並み揃へて若人が日本一に育てましょう」と書かれています。
そんなお祝いムードの一方で…
傷痍軍人の方が寄付をお願いしている光景もよく見られたようです。
父…「小学校の頃はプールはなかったけん、水泳授業も川でしょった」
母(昭和28年生まれ)…「私の学校はプールあったで」
父が通っていた湯郷小学校は、明治7(1974)年に開校し、昭和40(1965)年に統廃合されました。統合先の新しい小学校にプールが新設されたようです。
↑私は、この写真のおばあさんに衝撃を受けてしまって。
私…「子どもの頃、この家に水道ってあったん?」
父…「ないない。水道やこ、なかったけん、水は井戸水。じゃけん風呂は3日に1回ほどだった」
私…「三種の神器は?」
父…「三種の神器でいうと、テレビが1番早かったのは、雅ちゃんとこ(近所)じゃった。うちは36年。洗濯機はいつだっか遅かったと思うで。冷蔵庫は40年過ぎかな」
私…「冷蔵庫ないと困るなぁ」
父…「じゃぁ。じゃけん、ご飯も臭いずくずくのを食べよったわ。今はよう食べん。スイカは井戸で冷やしょったで」
※町水道、下水道の完備ついては、またの機会にお話しますね。
5.幼い父と幼い私
↑
ちょっと賢そう。
同じ年頃のミニ小雪庵は…
↓
↑
何かを食らう野生児であった…。何だろう…よくわからないけど、何かを皮ごと「あーん」してるミニ小雪庵でした。
……… ✳︎ ……… ✳︎ ……… ✳︎ ……
今回、父に話を聞いた中で、「テレビが初めて家に来たのは36年」とすぐに答えられていたのが印象的でした。
父は、昔のことを語りたがらないので、私も「そう言えばなんじゃけど…」と軽い感じで訊くのですが、今日「今度は、昭和歴史ストーリーか何か?」と言われました(noteのことは内緒)。
これからも色々質問するんだけどよろしく。
読んでくださりありがとうございます。
今後「父の絵日記と昭和30年代」をシリーズでお届けできたら良いなと考えています。10回くらいになりそうです。多いかな?
ぜひ、お付き合いいただけたら嬉しいです!
また次回お会いしましょう♫
参考文献
『津山美作真庭の昭和』樹林舎 2020
『津山美作今昔写真集』樹林舎 2013
『美作町史 写真編』美作町 平成15
『美作町史 地区誌編』美作町 平成16
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