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「美作市から飛び出した『福田久治』」みまさかぞく#006
2016年に閉校した美作市立梶並小学校に私は6年間勤務しました。その1年目の初夏、前任校の校長から「話があるから来て」と連絡を受け、校長室に通され聞いた話は…??
1.校長の話
「久米南町で偉人の絵本を作るらしいんじゃけど、文章を書く人がおらん言われよって、安藤先生の話をしたんじゃ。久米南町役場に行って話を聞いてみて。行くなら僕から電話しとくけん」。時間はお昼過ぎ。「わかりました。今から行ってみます」。
「何でもやってみぃ、それが次に繋がるけん!」校長先生、ありがとうございます。
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2.久米南町の取り組み
役場内にある教育委員会課長から話を聞くと「久米南町公民館活動の一環として“福田久治”の絵本を作る話が出ている。主体は偉人顕彰会」とのこと。福田久治ってどんな人だろう。後日、偉人顕彰会の方とお会いした時「こんな若い人が(歴史絵本を)?」と言われたことを覚えています。
私はやってみたい気持ちとちょびっと遠慮もありました(理由は下記)。次の日、偉人顕彰会の方から「お願いしたい」とGOサインの電話が。その言葉に覚悟を決めた私。「わかりました!良いものを作りましょう!」。絵本制作開始!
3.私の希望
美作市以外で、偉人顕彰会の方と一緒に作り上げるという初めての経験をする中で、私はひとつの希望がありました。それは「絵は久米南町の方に描いて欲しい」ということ。地域の絵本は、そこに生きる人が手がけるから大事にされる。これは私が得た感覚でした(私が執筆を迷っていた理由はこれです)。
そこで紹介されたのが久米南町在住、中学校の美術の先生だった沼本先生でした。
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沼本先生は様々な技法を使って、味わい深い絵を描いてくださいました。
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4.入れてもらう
私は常に「久米南町の中に入れてもらう」という意識でいました。地域の絵本は読まれ続けることが大事。制作者の顔も制作過程も見てもらい、好きになってもらえたら嬉しいな。そう思いながら偉人顕彰会の方と話し合いを重ね、町内のみなさんに向け講演会も開催しました。
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5.絵本完成!10年間プレゼント企画!
『耕地整理の父 福田久治』は、明治時代「ボロ久」と呼ばれ失明しながらも棚田に水を入れるため尽力した福田久治のお話です。
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絵本の紹介はこちら↓↓
約1年をかけ絵本が完成し、久米南町内小学校の副読本として使われることになりました。それだけではありません。何と2012年から10年間、新一年生ひとりに一冊プレゼントされることに!
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6.棚田を見たら思い出す
明治から大正にかけて土木技術も進歩していきました。外国人技師が入ってきたことも大きいでしょう。久米南町でもその業績が現代に受け継がれています。
『棚田百選』など私たちが知っている原風景の中には先人たちが苦労を重ね作り上げたものがあることを、今回教えて頂きました。
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自宅から久米南町役場まで車で30分。何回通ったかなぁ。完成まで導いてくださった偉人顕彰会の方々、いつも取材してくれた新聞記者さん、温かく受け入れてくださった久米南町内のみなさん、本当にありがとうございました!
たくさんの感謝とともに久米南町を後にした次の年、ビックリ仰天!夢のような出来事が。
続きはまた次回⭐︎
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