合宿免許の卒業検定でやらかした話。
私は合宿免許の卒業検定で、1発アウトをくらった苦い思い出がある。
もちろん、誰かの車にぶつけたとか、そんなド派手な理由ではない。
いたって普通の理由で不合格になったわけだが、正直、いまだに腑に落ちない。なぜあんなところに『あれ』があったのか…。
■静岡県浜松市への『免許合宿』
私は23歳の時、静岡の浜松市まで免許合宿に行った。
現在がどういう価格かは分からないが、当時の免許合宿は、学生の長期休暇などが重なるピーク時だと、30万円前後のプランしかなかった。
しかし、ほとんどの人が家族や親戚などと過ごす年末年始なら、20万円程度で行くことができたのだ。
「安くて人が少ないなんて最高やん!」と思った私は、迷わず正月三が日後すぐの、1月4日から合宿を開始した。
合宿環境は、とても快適で最高だった。
滞在先のホテルはご飯は毎日の楽しみになるほど美味しかったし、大浴場はほぼ独り占めだったし、合宿仲間も全員歳が近くて話が合って「ウェーイ!」なノリでウェイウェイできたし。
仲間たちとキャッキャしながら勉強し、一定数の教官とも仲良くなって、とても有意義な時間だったと思う。
さらに浜松市の教習所近辺の道路は整備されており、アスファルトに凹凸ががなく、白線も色濃く記されていた。
仮免許を取得して路上実習に出た時は、その走りやすさに感動したものだ。
担当の教官は日毎にコロコロ変わっていたが、「安心して乗っていられる」「今合宿に来ている誰よりも上手い!」などといわれるくらいに、私は運転がうまかったらしい。
黄色信号時の『行ってしまうべきか止まるべきか』という心の迷いは全職員に見透かされていたが、それ以外での指摘はなかった。
そんな教官たちの声もあり、私は実技にそれなりの自信を持っていた。と、思う。
(現在はまったく車を運転していないし、する気もないので、自信に満ちあふれていた当時の自分の気持ちが思い出せない…。)
■卒業検定当日、あいにくの雨
そんな中迎えた『卒業検定』。その日は、合宿に来て初めての雨が降っていた。
その証拠に、検定の前日に私がLINEのタイムラインに投稿した投稿が残っている。
私はホテルの部屋に散らかした物や服をキャリーバッグに詰め込み、「今日でみんなともサヨナラかぁ…さびしいなぁ…」と、仲間との別れを惜しむくらいには、自分の卒業を確信していたと思う。
片付けをしている最中、後から合宿に来たかわいい年下くんたちに「合格祝いのビールです!」といわれてもらったプレモルのロング缶と目が合った(ような気がした)私は、それを帰りの新幹線で飲もうと、ルンルンで小さいバッグにしまい込んだ。
ロビーに降り、お世話になったホテルの受付スタッフに挨拶をすると、「会えなくなるのはさびしいけど、頑張ってね」という心温まる言葉をもらった。
私は照れながらも「まぁ、不合格になったら帰ってきますよ〜!」なんて冗談を飛ばしつつ、ヘラヘラしながら手を振り、ホテルをあとにした。
…今考えば、自分自身で『フラグ』を立てていたのだ。
合格すればそのまま教習所のバスで駅まで送り届けられ、そこから新幹線に乗り、夕方頃には実家に着くだろう。
そんなことを考えながら、重いキャリーバッグをガラガラと引きずり、教習所へと向かった。
■トラウマの『事件現場』
卒業検定は3人1組で行われ、1つの検定コースを15〜20分交代で走らせるというものだった気がする。
私は3人中、2番目の検定になった。
仲のいいAちゃんとBくん2人と、教官1人とで同じ車に乗り込み、卒業検定がスタートした。
開始直後、後部座席に乗りながら頭の中でボヤ〜っと検定の流れをシミュレーションしていると、1人目のBくんが難なく検定を終えた。
私は交代がてらB男くんに「お疲れィ!」と声をかけ、後部座席から運転席に移動した。
車体、シートベルト、ミラー。安全を確認し、静かに車を発進させた。
検定コースはなんとなく把握していた気がするが、教官が「次の信号を右ね」とか「ここ左に入るよ〜」とか指示を飛ばしてくれていたので、それを耳に入れて従うだけの簡単なものだった気がする。
唯一いつもの実技と違ったのは、雨が降っていることと、フロントガラスの上をキュッキュッと往復するワイパーの存在くらいだ。
ワイパーを作動しながらの運転は初めてで新鮮だったが、とても邪魔に感じた。
教官は隣で、バインダーにはさんだ用紙に、何かチェックを入れている様子だった。私はほどほどに緊張したが、「あ、案外余裕やん。実技と変わらんやん」と、心の中でつぶやいていたと思う。
そして、忘れもしない『あの事件現場』へと、順調に進んでいったのだ。
私は教官の指示通り、車1台分の幅しかない、田んぼ道に突入した。広大な田んぼを、十字路で4つに分断したような感じの景色が広がっていた。
雨だったためか、田んぼには人気がなく、もちろん障害物もない。危険なものが何もないため、ホッと気が緩んだ。
「どこ見ても田んぼやな〜、あー、ここを突っ切るだけか〜…」なんて考えながら、ゆっくり十字路に突入すると…。
「あっ!!!」
突然、教官がブレーキを踏んだ。
私はワケが分からず、「えっ?」と、思わず声を出した。
何も、ミスした覚えがない。というか、こんな何もない場所、失敗しようがないだろう。
5秒くらいの沈黙のあと、教官がゆっくりと話し始めた。
「…見てなかったでしょ?」
そういわれて、前方や後方、サイドミラーなどを確認しても、教官がブレーキを踏んだ原因を特定できなかった。
私は教官の目を見ながら、無言で首を振った。原因不明の指摘に対してパニックになっていた私は、心臓バクバク頭まっ白状態で、言葉が出てこなかったのだ。
「あれ」と、教官は何故か少しニヤけつつ、フロントガラスの左斜め上を指差した。
そのままの体勢では教官の指差すものの全貌が見えなかったので、運転席から身を乗り出してその方向を見てみると…。
「あっ」
なんと、田んぼの十字路には白く細長いポールが立っており、その頂点に『止まれ』の標識が掲げられていたのだ。
田んぼに入った直後なら、フロントガラス越しでも気付けたかもしれない。
しかし十字路付近まで車を走らせた後だと、ポールが高すぎて重要な標識が見えなくなるのに加え、ちょうどワイパーが雨をビシャっと避け続けるドンピシャな場所に位置していたため、白い柱がモヤッと浮かぶ程度にしか認識できなかったのだ。
…免許の卒業検定を受けた人なら、もうお分かりいただけただろう。
そう。私は、1発で不合格になる、『一時不停止』をやらかしてしまったのだ。
その後は「一時不停止って、1発アウトじゃなかったっけ?」「あれ、今日まさか帰れないのでは…」という考えが頭の中をグルグル支配していたこと以外、何もおぼえていない。
おそらく、自分の分のルートは、『一時不停止』以外、何事もなく走り終えていたはずだ…。
■卒業認定を終えて…
無事に教習所へと戻り、同乗していた仲間に同情の言葉をかけられつつ、卒業検定を受けた全員が教室で待たされた。
その後、入ってきた教官が、合格者の名前を発表していった。
もちろん、私の名前は呼ばれなかった。
教官から解散が告げられると、私は次の卒業検定を予約するべく、フラフラと教習所の受付へ向かった。すると、教官の1人に声をかけられた。
その教官いわく、私の日頃の態度や成績が良かったため、イレギュラーで合格にするか否かが、教官たちの議題に上がったらしい。
しかし、『一時不停止が1発アウト』だと試験者全員に事前共有していたこともあり、「やはり合格にはできない」ということで、話がまとまったそうだ。
教官の言葉を聞き、私は申し訳なさと悔しさでいっぱいになりながら、重いキャリーを引きずって、トボトボとホテルへと戻った。
幸いにも、不合格時の延泊保証付きのプランだったため、再検定の日まで無料で滞在できたのだ。
ホテルに到着した私を見た時の、受付スタッフのビックリ顔は忘れられない。「うわ、本当に帰ってきた!」と思われただろう。
私はそれに対し、「へへっ」と苦笑いせざるを得なかった。
1〜2秒ほどフリーズされたが、その数秒で私の状況を理解した受付スタッフは、元々の部屋を用意しようとしてくれた。…が、予約が入ってしまったらしく、別の場所に案内された。
新しい部屋は、約2週間を過ごした場所より階層が上がり、窓から見える眺めが最高だった。
私は落ちていく夕焼けを見届けた後、薄暗くなった部屋のベッドに小さくうずくまって号泣した。
ー泣きながら、ある日の教習所の授業で『かもしれない運転』を教わったことを思い出していた。
「路肩に止まっている車から人が降りてくるかもしれない」とか「公園からボールを追いかけてきた子供が飛び出てくるかもしれない」とかなら、さすがの私も予測しながら運転できていた。
しかし、「周りが田んぼしかない十字路のド真ん中に、細長く高いポールの頂点に『止まれ』の標識があるかもしれない」なんて、想像の遥か上を行き過ぎている。
なぜあんなところに『止まれ』の標識があったのかは分からないが、きっと何か理由があって置かれたに違いない。そう自分に言い聞かせた。
教習所の都合上、試験が2〜3日後になってしまった私。それまで、何もやることはない。
新幹線で自分の合格を噛み締めながら飲むはずだったプレモルは、次の日、やけ酒として、私の身体に流れ込んでいった。
あとがき
なんであんなところに『止まれ』の標識があったのか…。今思い出しても悔しいです!!!悔しすぎるッ!!!
あの田んぼ道に十字路がある卒業検定ルートは、今現在も使われているのでしょうか…。もしそうなら、私と同じような過ちで、枕を濡らしている人がいないことを祈ります!
私が馬鹿だっただけかもしれないけどッ!見落とした私が悪いけどッ!!私と同じような思いだけは、してほしくないと思ってしまうのです!!!
ちなみに、再検定で受かって地元に戻り、無事に免許を取得した私は、感覚を忘れないために、両親を乗せて運転しました。
父親も母親も免許を持っているので、経験者を同乗させたほうが安心安全だと思ったからです。
しかし、他人の運転する車に免許を持つ人が乗ると、「自分よりブレーキを踏むのが遅い」とか、「自分よりハンドルをきるタイミングが早い」とか、色々考えてしまうでしょう。
私が習った浜松流の運転は、両親のどちらとも合わなかったらしく…。信号が赤になり、前の車にぶつからないようブレーキを踏もうとした直前、「「危ない!!!」」と、2人同時に大声で叫ばれました。
その瞬間、私の中の何かがプッツーンと切れてしまい、まったく運転をしたくなくなってしまったのです。教習所では毎日のように、「早く車に乗りたい!」って思っていたのに!
そのため、安く取得したはずの運転免許証は、たっかい身分証明書になっています。(笑)
実家を出た今も、車を所有していません。というよりかは、車がなくても生活ができてしまうのが大きな理由です。
いつかまた「運転したい!」って思えるその日まで。私の運転免許証は、身分証明書として活躍してもらおうと思います。
(そしてこのnote、途中で1回消えました…。死ぬ気で復元した…疲れだぁあぁぁぁぁぁ!!!!)
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