避難したから出会えた人たちに会う 私たちを受け入れてくれた牧師さん
味噌作り3日目。この日は一昨日作った米麹に塩を混ぜ、圧力鍋で大豆を煮る。そして塩の混ざった米麹と冷ました大豆を混ぜ、圧縮機で潰して、隙間なく樽に詰めていく。結構な力仕事だ。
この後は、粗熱が取れるまで蓋をしないで3日くらい冷ます。そして空気に触れないようにラップをして塩を乗せ、半年熟成させる。そうしてやっとお味噌はできる。今から、お味噌のできる梅雨明けが待ち遠しい😊
全てのお味噌が仕込み終わったのは、午後の3時を過ぎていた。
娘の体調がイマイチだったので、急いで家(避難した当初、家族を岡山に呼ぼうとオンボロの家を買い、お金がないので友人とDIYをして用意した。今は空き家。別の言い方をすれば“セカンドハウス”(笑))に帰り、大阪に帰る荷物をまとめた。
ただ今回、もう一人会いたい人がいた。福島の第一原発事故が起きて、避難した私たちを受け入れてくれシェアハウスを運営管理してくれていた牧師のNさん。今は牧師さんを退職して、この町の何処かに住んでいる。大体の場所は見当がつくのだが。
娘とポーちゃんを乗せて、とりあえずそっち方面に車を走らせる。
「多分、この辺りなんだけどなあ」と車を止める。「ちょっと見てくるね」と一人で辺りを歩いてみる。すると軒下にいくつもの星がキラキラしているようなイルミネーションをしている家を見つけた。
「ここだ!」
すぐに分かった。急いで車に戻り娘とポーちゃんを連れてピンポンを鳴らす。
奥さんのTさんが玄関から顔を出してくれた。
私:お久しぶりです!突然すみません。お元気ですか?
Tさん:あら〜!久しぶり〜!〇〇ちゃん、大きくなって!
娘:(少し照れながら)こんばんは😊
奥からNさんがのっそり出てきた。変わらない笑顔が懐かしい。
私:お久しぶりです!お元気ですか?場所がよくわからなかったけれど、会いたくて来ちゃいました!
Nさん:おお〜!ひさしぶり〜!元気ですよ〜!元気ですか〜?
娘:(なぜか照れ続けている娘)はい😊
日も落ちて薄暗くなってきた庭先で、お互いの近況などを報告しあう。お元気そうで何よりだった。
原発事故が起きた時、子ども達を連れて避難する場所がない私達をシェアハウスで受け入れてくれた。地元の人達の架け橋となってくれた。避難してきた私達は、皆それぞれ色々な問題を抱えていて、いともすると潰れそうになるような時もあるのだが、そんな時も寄り添って話を聞いてくれて、物心ともに助けてくれた。Nさんと、そしてNさんの隣でいつもニコニコ笑顔で見守ってくれた奥さんのTさん。この人たちがいなかったら、私たちはどうなっていただろうか。
原発事故が起きて、福島から九州地方に子どもを複数人抱えて避難したママさんがいた。孤立して自死された。このニュースを見て、孤立しないことの重要さを身にしみて感じた。
Nさんはギターやウクレレを演奏し、奥さんのTさんはピアノとコントラバスを奏でる。Nさんは作詞作曲もして、ご自身で歌も歌う。とても良い声。みんなが集まるイベントがあると、歌を歌ってくれた。心に響く歌声でが心に染みて、自分の意志とは関係なく、いや自分の意志に反して、涙がとまならかったこともあった。そしてみんなで、時には笑いながら、時には泣きながら、歌を歌ったことは、とても大切な思い出。
今、Nさんはご自宅の納屋を改装して、地域の人や仲間で使えるレモンハウスという空間を用意していた。大きなスクリーンとオルガンとコントラバスが出番を待っていた。きっと何処かでギターも待っているだろう。シェアハウスで、子どもたちが読んでいた絵本も並べられていた。
シェアハウスを経由して、岡山に根付いて暮らしている人もいる。他に地域に移り住んだ人もいる。海外に移住した人もいる。故郷に帰った人もいる。でもいつか、レモンハウスで、懐かしいみんなと集えたら、どんなに素敵なことだろう。Nさんの歌を聴いたり、みんなで歌ったり、お喋りしたり。
また、そんな時間を過ごしたいね。