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道徳がんばれ
かつて、道徳が存在するのは当然だと、誰もが思っていました。
人々の生き方の細かいところにまで道徳が口出ししてきて、なにかと束縛の多い世の中でした。
そんな時代だったから、みんな自由を渇望しました。
道徳が幅をきかせて、自由が肩身の狭い思いをしていた、それが昔の世の中だったように思います。
しかし、時代は変わりました。
自由は努力して勝ち取るものではなく、最初からあって当然のものになった感があります。
こんな現代社会では、自由を制限する道徳の側が、むしろ説明を要求されるようになった気がします。
道徳を理由に人々の自由を制限すべきときに、「なんで自由にできないのか説明しろ!」と詰め寄られるイメージでしょうか。
昔とは逆に自由が幅をきかせて、道徳が肩身の狭い思いをしている、それが現代社会なのかと思います。
こんな時代だからこそ、道徳を考えたい
こんな時代だからこそ、私は、道徳というものをきちんと考えたいと思います。
なぜ道徳が存在するのか、それをきちんと説明できないと、道徳が自由に押しつぶされてしまいそうに思うんです。
私たちは、道徳があって当然だった時代には考えもつかなかったような難題を、いま突きつけられているのではないか。そんなふうに思います。
ちなみに私は、道徳というものは、
「みんなが争わずにうまくやっていくために、人が守るべき基準」
だと思っています。
自由の側からの考え方
もちろん自由の側が、
「守るか守らないかは、個人が自由に基準を決めればいいだけのこと。それで権利を侵害された人が出たら、その人がクレームをつければいいだけの話。そうやってみんなが不満をぶつけ合っていけば、どこかで自然につり合って社会はうまく回っていく。それが民主主義でしょう。だから道徳なんて必要ないんです」
みたいな反論をしてくるだろうとは思います。
この考え方も、実は正しいと思います。
しかし、この考え方だけですと、結局は声の大きい人やクレーマーだけが得をする、なんか不愉快な世の中になりそうな気がするんですよね。
自由や権利を主張することが悪いことだとは思いません。それは尊重されるべきだと思います。
でも、声が小さい人の思いを無視することは、かえって平等からは遠ざかるようにも思えるのです。
自由と道徳のバランスを
自由な現代社会に首まで浸かっている私としては、いまの自由を手放したくはありません。
ですが、自由と道徳が対立するものなら、両者のバランスが大切であるようにも思うのです。
一部の人だけが得をする世の中にしないためにも、私は「道徳がんばれ」って、ささやかですが道徳を推したいです。