生きる意味とか、死ぬ勇気とか
生きることが恥ずかしいという記事を、前回書きました。
では、死ぬことが望ましいのかというと、全然そんなことはないですね。
やっぱり大切な「からだ」や「いのち」がなくなってしまうことは怖いです。
ただそういう死の恐怖とは別に、若いころの私は自分が嫌いで、自分の人生が嫌でした。
こんな人生なら早く終わってもいいのかなと、なんとなくですがそう思っていました。
自分の人生を大切に思えなくて、一度だけ危険な「運だめし」をしてしまったこともありました。
(「運だめし」については、いずれ別の記事に書こうと思います)
憂うつに過ぎていく変わりばえのしない日常の中で、死に対して、なにか親しみのような気持ちがあったのかもしれません。
でも本気で自殺を考えたことは、一度もありませんでした。
死ぬ勇気がないから生きていた
結局、自分が嫌いだの、人生がつまらないだのと、わがままを言う割には、本気で死ぬ勇気もない意気地なしだったのだろうなと思います。
それに、自分のことがどうしようもなく嫌いでも、自分が生きていること自体はうれしいという気持ちがあったようにも思います。
自分の性格とか自分の人生のことは憎んでも、自分の「いのち」を嫌いになることはできなかったのです。
若いうちはなかなか自分の生きる意味には気づけないと思うのですが、でもそれでいいのだろうと、いまでは思っています。
とりあえず死にたくないから、自殺する勇気がないから生きている。それだけでもなんとかなるのではないでしょうか。
そうやって生きていれば、いつかそのうち生きる意味はわかってくるのではないかという気がします。