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矛盾を容認する思想
あちらを立てればこちらが立たず。とかく世の中は矛盾、対立することが多いですよね。
かつてヘーゲルは、矛盾こそが世の中を進歩させるのだと言いました。
矛盾を矛盾として徹底的に向き合うことで、その中からよりよいものが生まれてきて、社会が発展していくというわけです。
矛盾を憎むのではなく、むしろ容認し、そこに意味を見出していこうという前向きな哲学です。
たしかにそうやって世の中は発展してきたのだとは思います。
でもこの考え方を突きつめていくと、たぶん戦争を容認する考えに行き着くんですよね。
戦争そのものは世の中の矛盾ですが、それでもっといい世の中に変わるのなら、少しの犠牲には目をつぶろうという考えです。
これが「少しの犠牲」ですまなくなったのが、二度にわたる世界大戦だったのだろうと思います。
矛盾の解決には平和的な話し合いを
世の中は矛盾ばかりとただ嘆くのでは何も生まれませんが、かといって矛盾を積極的に容認していく思想も、やはり大きな矛盾を抱えていた、ということなのでしょうか。
矛盾を容認することで世の中は進歩してきたということ。一方で、矛盾の解決はあくまで平和的な話し合いが望まれること。
仮にですが、「世の中の進歩」と「平和」と、どちらかしか選べない状況だとしたら、私は、進歩を手放しても平和を選ぶべきではないかと思っています。
この先、もしも第三次世界大戦になって、核保有国どうしが本気で戦ったらと考えると、平和を選ばざるを得ないのではないでしょうか。
逆に言うと、平和主義を唱える以上は、いざとなったら進歩を手放す覚悟が必要、ということなのかもしれませんね。
矛盾は矛盾として認識しつつも、自分の思想・信念に関しては中庸を重んじるというか、あまり突きつめすぎないくらいがちょうどよいのかもしれません。