不十分の幸せ
いつもありがとうございます
と、私はお仏壇に手を合わせる。
ご先祖様のパワーを借りて私は生きていると考えているが、もし亡くなった曽祖父が生きていたら、祖母が生きていたら今の私にどんな言葉をかけるのだろうか。
これは過去に縛られる訳では無い。引っ張られる訳でもない。
ただ、時々昔の人の知恵が欲しくなるのである。
これから先、どうなるのか答えが知りたくなるのである。
山を削って土地を売り、新しく家が立つ。
空き家を壊して土地を売り、新しく家が立つ。
売れない空き地にコンクリートを敷き、駐車場ができる。
増えてくる住宅関係の業者。新築を求める人々。
古民家に住む人が特集される雑誌。
この光景に最近疑問が浮かぶ。
「普通」という言葉を使うことはしたくないが、
結婚して新居を建てることが普通なのか?素晴らしいのか?逆に、古民家に住むことがすごいのか?古民家に住むことが普通じゃ無いのか?
昔の人の住まい、知恵の詰まった家に、現代の人が住む。
古民家は、昔の流れと今の流れの間の家。
きっと陰と陽の間の家。
白でも黒でも無い、便利でも不便も無い家。
溢れすぎたものを戻してくれ、皮下脂肪をはがしてくれる家。
築年数が経った家も、新しい家もどちらも良い部分はあるし、上下つけるものでも無い。私はどちらにも良い部分はあってすきだから。
ただ、先日、古いものに新しく手を加えて、これから先何十年も住めるようになる事に感動した。(古いものを残す、建築士さんの技術が素敵すぎる)
隙間風が入りすぎて、暖房の効かない家に住み、不便なのよね〜と言いながらも、十分すぎる笑顔で生きる人に感動する時もあり、最先端の技術を学ぶ人を凄いなと思うときもある。
私はいつか、古いと新しいが一緒になる何かをしたいなと思う。まだモヤのかかった引き出しにしまってある夢。
昔を生きた人に答えを聞きたくなることもある。
私たちは、これからどんな暮らしをするのかと。
私の未来はどうなるんだと。
どれだけ考えても未来のことは分からない。
だけど、私の先を生き終えた家族がかけて来る言葉。
縁を繋いで思うままに進みなさい
品良く、強く、自分らしく
と。
1年前求めていた事が、現実となっている今、
そして、今までの常識が壊れてきている時だからこそ
一歩を踏み出せば、未来は変えられると確信した。
これから先も縁を大切に繋いでいきたい。