歓喜の歌(ベートーヴェン 交響曲第九「合唱」 第四楽章)
※こちらの記事はアメブロに投稿したブログを再編集して掲載しております。
ところで、私の好きな音楽のうち、1つに、「ベートーヴェン 交響曲第九番「合唱」」があります。特に、第四楽章が大好きで、ことあるごとに聴いていますし、年末には東京まで行って生演奏を聴きに行くほど好きです。
あと、何かをしようとするとき、何かに挑もうとするときに、必ず聞く、勝負曲の1つでもあります。
まさか、あの有名な「歓喜の歌」をご存じない方はいらっしゃらないとは思いますが、何のことやらの方はyoutubeででもいいので、一度お聴き頂ければ。
さて、私が好きな部分は、次のような歌詞の部分。
この歌詞は、歓びの歌の中で何度も出てきます。歓びの不思議な力は時の流れが引き裂くものを再び結び合わせ、優しい翼に抱かれて全ての者は兄弟になると歌われています。
キリスト教的世界観は多分に入っているかと思いますが、時の流れによって引き裂かれてしまった個々人、特に今はあまりにも引き裂かれてしまって、ロシア・ウクライナでは戦争も起きている始末ですが、歓びを取り戻して、再び平和な、全ての者が兄弟と言えるような世界の訪れを祈っています。
この歌詞は、歓喜の歌(本来は第四楽章の半ばくらいからが本当の「歓喜の歌」)の前にあるのですが、個人的には好きな価値観です。
キリスト教的価値観ですと、伴侶を見つけることが最優先事項のようにされていますが(イスラム教ではさらにそれが強い印象を受けますが)、この歌の部分では、伴侶よりも先に、本当の友達というのが挙げられています。
私のような、性分化疾患があったりとかだと、なかなか伴侶をみつけることは難しい(少なくとも、妊孕性はないので、子どもが無理なので、そこがハードルになってしまう、現在の価値観だと)のですが、本当の友達ならこんな私でも作れる、というわけです。
この世でただ一人でも自分の魂といえるものがあるなら、仲間の輪に入れるわけで、ハードルは低め、というか、本人の意思(努力)による部分が大きく、仲間の輪に入るのに、他人の承認が必要な部分もあれば(伴侶)、自力で何とか出来る部分もあり、そういう意味で、好きな価値観です。
試練をともにする友人をも与えてくれる、まさしくそう思います。私自身、この性分化疾患(インターセックス、DSDs)に該当する疾患以外にも、かなりいろいろ疾患を抱えていて、辛い(?)日々を送っているのですが(指定難病が3つあるとか、その時点で結構なレベルで病的に辛い気はしますが←自分で言う)、幸い友人や周りの環境(人間関係)には恵まれており、そういう意味では、この歌詞を実感するところです。
それなら、快楽は虫けらたちに与えてやれば、知の天使ケルビムさまが神の御前に現れ、なにか良い方向に持って行ってくれるに違いありません。
いよいよ、ベートーヴェン 交響曲第九番「合唱」第四楽章「歓喜の歌」も最後、締めの部分になります。いつもオーケストラで(生演奏で)聴くと、この頃には涙でぐちゃぐちゃになっていて、目と鼻から液体が状態になっていますが、最後の締めも。
歓び=おまえ=きらめく光に包まれた楽園の乙女=(最初に戻って)=時の流れが引き裂くものを再び結び合わせるもの=優しい翼に抱かれて全ての者は兄弟になるもの
なんですよね。そして、
で、歓喜の歌が完成するわけです。
と、強引に持病や性分化疾患(インターセックス、DSDs)に絡めて、ベートーヴェン 交響曲第九番「合唱」 第四楽章を語ってみました。