「優しさ」と「本気」と
今回も塾のお便りのコラムの転記(一部修正)です。
ーーーーーーーーーーーー
先週、「ゼミ」という時間を高校生と過ごしてきました。
お互いに緊張しながら第一回が終わった後、一人の女の子がやってきて「今、教えることと伝えることの違いについて考えているんですが、今日の先生は『伝える』でしたよね。どういう意図でやっていたんですか。」となかなか直球の質問を受けました。
私は『選択肢(見方)を増やすこと』をいつも意識しています。
最悪の選択肢しか見つからないのが自他ともに辛いからです。また、『正義の反対は相手の正義』という言葉にも強く影響を受けています。自分の方が正しいと思った時に相手の正義を踏み倒す(強制してあげる)度胸がないので、「私はこう思った…」と伝えるだけに留めてしまいます。
ですから、周りは私を「優しい」と言います。
ただ怖いだけで、相手を傷つけたくない(自分が傷つきたくない)だけです。
森山直太朗さんの歌に『優しさ』という歌があります。本当の優しさとは何なのでしょう。この歌を聞いてもやっぱり強さにしっくりこない甘い私だけで子育てをしていたら、感情豊かな子には育たないと思います。
もともと子育ては地域社会の人たち皆で行っていました。人によって得手不得手がありますが、その中から何を感じていくのか。不平不満を見つけるか学びや喜びを見つけるか。その捉え方、見方、選択肢を広げていくことに私は興味関心がある。だから高校生の進路相談、自己探求のゼミでは先生になります。しかし、例えば動物愛護には視点が向かない。ただそれだけです。
この女の子がなぜ「伝える」について考えていたのか。理由は「きちんとした性教育を広めたい。」という強い情熱があるからでした。個人的に勉強して発信したり、SDGsや学生のコミュニティに参加したりして頑張っているけど「どうやったら理解してもらい、周りに変わってもらえるか」に悩んでいるそうです。
親の反対や心配が凄いらしいですが、親御さんの気持ちは想像できます。
誹謗中傷を受けたり、「自分の経験や価値観だけで突っ走るのは危険だよ。」と先輩から忠告を受けたりしながらも、それでも辞めないのは、自分が初めて知った時の衝撃と自分にとっての重要性からくる情熱。本気だからだと思いました。
思いが強ければ盲目になることや失敗することもあるでしょうが、最初から自転車に乗れる人がいないのと同じで、小さな一歩を積み重ね続けられるかという点では性教育の勉強もいずれ上手くいくか、何かの形で「やってよかった」となるはずです。
時代は大分変りつつありますが、運動部を長く続けてきた人は面接官に好印象だといわれます。
忍耐強い、体力がある等理由はいくつかありますが、「続ければ身につくという成功体験を持っている」という点も大きいと思います。
中途半端で本気でやり切れず、「やってもダメだった」が刷り込まれると新しいことへの一歩が切りにくいです。
「やればできる」は何度も目にする言葉ですが、「やればできた」に触れる回数は意外と少ないです。子どもはもちろん、大人だって些細なことでも褒められたり「できた」が味わえると嬉しいものですね。
例えがズレますが、脳科学では報酬を得ることと褒められることや信用されることでは、どれも脳に同じ信号が出るそうです。(小泉英明さん著書)
上手くいかないことが多々ある中で、どれだけ小さないいことを見つけられるか。
このゲームはIQが高かったりお金持ちの人の方が不利(偏見)です。
いや逆に、成功者や幸せ感が出てる人はこのゲームを人よりやり込んで強くなったから結果として成功してるのかもしれません。
いつもの悪い癖で話が逸れましたが、この女の子の背中を押すのは怖いです。でも本気の人には本気で応援しようと思います。
冬休みに普段宿題を持ち帰らないのに「宿題沢山ください」と言って一日二日で15枚やってきた子がいました。私はその子を甘くみていました。いつの間にか「どーせやらないんでしょ」とだんだん尻すぼみになって…。
何が当たるか、何がきっかけになるかはやってみないと分かりません。好奇心と可能性と成功体験の芽を摘まないように、本気と覚悟をもって目の前のことに取り組んでいこうと改めて思いました。
本気の料理、本気のお手紙、本気の字、本気の遊び、本気の挨拶・・・。
一つ一つに心を込めて☆