人は、幸せになるために仕事をしている。

少しむかし。

超大手グループに居た頃のMさん、当時スーパーバイザー(現在某地域統括本部長)とは、私が親の介護で退職してからも、ワンシーズンに一度から、半年に一度くらいは2人で飲みに行く間柄である。

歳は彼女の方が10歳近くも下なのに、彼女を歳下だと思った事がない。人間としても、リスペクトしている。だからこそ、この若さで本部長なのだろう。


私の悪い癖は、一度やらねばと思った事は、多方面から攻めて改革を達成させねば気が済まない所。

変化を伴うため、多くの人々は反感する。

だが、やるやる詐欺は嫌いだ。

そして、やろうと思ってる、なんて意思の弱い事を言ってるヤツも嫌い。

やるからには、徹底的に、効果的にやらねばならない。

しかし、どうしてもパワーバランスを取れず、必死になりすぎる。

それもあり、心身共に疲労が限界を迎え、倒れてしまうのである。


某保育関係の事務局長をしていた時もそうだった。覚悟はしていたが、過渡期であり、きちんと変革させるにはラストチャンスだったので、仕方がない面もあった。

人というのは、身勝手なものである。

理想を語るが、そこに近付くためには苦労も変化もあって当たり前なのに、それは嫌がる。

何度も説明していても、どうせすぐにはやらないだろうと生返事をしていたら、私がマジになってやっているから慌てて反抗する。

勿論、強引にはしていない。前もって何度も話をし、同意は得ている。

相手の受け止め方が甘かったのだろう。

しかし、今になればそこも含めて、もっと時間をかけてやった方が良かったのかも知れないとは思っている。


変えて欲しいと依頼をしてきたはずの、保護者側までもが、保育士側から色々言われたり、自分の子どもに何かあってはいけないからと、あまり変革するのはやめてほしいなんて言ってきた。

恐らく、今思えば本気の発言ではない。自分達を巻き込まずに変えて欲しいと甘えた事を言ってるのだ。保護者でやるには限界があるから、立ち上げとなったはずのシステムには、保護者の力添えが無ければ成されるはずもない。

自分勝手にも程があると、私はキレた。

筋道は作るが、あとは貴方達で作っていけばいい。もう沢山だ。と。

保育士に対して、

「気持ちはわかるが、ここはもう社会人の常識として、労務管理はきちんとせねばならない」と、私と同じように話してくれる保護者は、ごく一部であった。

ヒール役が嫌なのではない。理不尽すぎるのだ。

筋が通っていれば、ヒールだろうが極悪人だろうが、何と言われても特に気にならない。

長い年月をかけて、皆で私を陥れているのか?とさえ思うような展開は、私自身も詰めが甘かったのだろう。すっかり病んでしまった。


心身共に疲れ果て、絶望感に苛まれていた私に

Mさんは、久しぶりにゆっくり飲もうと誘って下さった。


他愛無い話ばかりをして、あっという間に時は過ぎた。もう辞めてしまって随分経つが、この方の部下で良かったと改めて思った。

彼女は更に遠いエリアの担当になってしまい、私がそこに通う事は到底不可能であった。


…でも、いつかまた一緒に仕事がしたい。

その日まで、こんな失敗も含めて、色々勉強をして、また自分の糧にすればいい。

そう思い、孤独感に包まれていた私に、光を与えて下さった癒しの時間は終焉となった。


別れ際、Mさんは駅の改札口の前で、優しい笑顔で言ってくれた。

「ハルさんは、どんな仕事でも頑張り過ぎてしまうけれど、どんな形でもいいから、貴女自身が幸せを感じて、家族と楽しく幸せな毎日を過ごしてくれたら、と祈るばかりです。」

…なんて、あたたかい言葉なんだろう。

私は、人目も憚らず泣いてしまった。

Mさんの素敵な人間性に、本当に改めて感銘を受けたし、自分が情けなくもあった。

「貴女にしか出来ないすごい事をして来てる。その成果は非常に高いけれど、その分自分の身体を削ってしまっている。一度、大病も患ってるしね。貴女は貴女。世界に1人しか居ない、大切な存在だからこそ、自分の事も大切にして欲しいの。私も身を粉にしてしまうタイプだから、説得力ないけど。」

私の心に、Mさんの一言一言が染み渡った。

今でも、この言葉は常に思い出し、自分の仕事のバランスを取る時に気をつけるようにしている。


ついつい、問題解決に捉われてしまい、闘う事ばかりしてしまうが、

そもそも人は、幸せになる為に仕事をしているのだ。

幸せを、どの部分でどれくらい感じれるかは、その人次第だけれど、結果として絶望感に苛まれる仕事の仕方は間違っている。


色々見失っていた私を、愛の力で気付かせて下さるMさんという偉大な元上司。

今でも繋がりがある事に、ありがたいという気持ちでいっぱいになった、少しむかしの話。


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