自分の行った介護は、自分の全てとなり返ってくる。
介護技術のノウハウはここ20年で上がってきた。
youtube等でも、基本的な介護技術について色々アップされている。
しかし、モラルやホスピタリティやコンプライアンスの問題は、なかなか向上しないように思う。
何故なのか?と日々考えている私。
『医者のように、いい給料を貰えばいい、介護職は安月給だからだ。』と、SNS等では言われる。
金銭は確かに原因を作っている大きな要素の一つのような気はする。
しかし、本当にそれだけだろうか?金銭のせいにしていないか?
素朴に疑問なのである。
理由を自分なりに考えてみた。
①日々の生活という、自分がお世話されるとこだわりたくなる部分だが、介護保険が謳う範疇を守るとなかなか難しい。
②マンツーマンが多く、閉鎖的で介護者も被介護者も何をされているか、言われているかが見えにくい。
③単純に、人のお世話は面倒だ。仕事だから仕方ないんじゃね。
④家族もあまり強く色々言いづらい。自分がお世話できないから、介護サービスを使っているし、という思いがある。
などなど。
①は、だからこそやれる事をご本人(または家族)と相談しながらやっていけば良い事であり、ケアマネジャーの腕の見せ所でもあると感じる。
②と④が結構大きな要素を占めているような気はする。しかも、そこをきちんと上司が締める事をせねば、倫理観は育たないだろうし、自分の行っている介護を自分自身が被介護者としてやってほしいか、自分だったらどうか。の視点は非常に大切である。
自分がされるのは嫌だが、早く仕事を終わらせたいから手を抜いた方法を選択する。という事をしている介護士を多数見てきたし、物申してきた。
ここをきちんとしていないから、③のような思考回路になるようにも思う。
高い賃金を支払ってもらう代わりに、きちんとしますとなるだろうか?
きちんとする人は、どの条件であってもきちんと仕事をする。
ただ、保育士関係もそうだが、介護士関係も就労条件についてや、コンプライアンスについて、知識を持っている人は少ないように感じる。
そこをどうやって、将来社労士の資格を取れた暁に結び付けていこうかとも考えているのである。ただの社会保険労務士の仕事だけではなく、介護士のスキルが上がっていく事に結び付けたい。そのため、ケアマネジャーの資格も必要だと思っている。
介護職とは、生活のプライバシーの問題やら、羞恥心の問題、モラルの問題、認知症の問題等も相まって、とかくに閉鎖的な面を持つ。
移乗介助一つとっても、勿論基本の方法、ここを外したらダメよという部分はあれども
その方の体型や背丈、反対に介護者の体型や背丈によっても、方法が変わってくるし
利用者の安楽だと思える理由も、認知症の周辺症状の現象も、これまた様々なのである。
難しい一面もあり、奥が深い。だからこそ、やりがいもあると感じる。
思いを込めすぎなくてもいいのだが、魅力は知って損はないのになと思う。
ただひとつ。
確実に言える事があるとすれば
『自分の行った介護は、自分の全てとなり返ってくる』
という事だろうか。
手を抜けば、手を抜いたなりの介護技術にしかならないだろうし
いい加減な事をすれば、高齢者に何らかの形で見抜かれている。
己が気が付いていないだけで、すべては自分に返ってきているのだ。
だからこそ、やれる範囲で高齢者のニーズに応じた安楽な介護が必要だ。
私は、現場が好きだ。
その理由は、実際に自分が行った介護で喜んで頂ける事を感じれるからだ。
毎日これからも、どうすればモラルやホスピタリティやコンプライアンスが遵守されるのか、私は悶々と考えながら仕事をするだろう。
介護士がいい待遇になるには、ただただ『お金を下さい』とばかり言っていてはダメだ。
自分達がもっともっと、いいサービスを日々実施していって、はじめて条件を言えるのだと思っている。
いかにいい形で、高齢者にサービスを提供できるのかを考えながら、現場に居たい。
介護職の方、一緒に日々、考えていきませんか?なんて、暑苦しいセリフを敢えて書いて、ここに置いておこうと思う。