介護職員が親の介護で仕事を辞める?!①
とりあえず、何から書こうかしら。
…やっぱり、自分の親と姑の2人ともが
介護が必要になった時の事を綴ってみましょうかね。
〜登場人物〜
☆ダンナ…私の一つ上。運輸関係の仕事。優しく子煩悩。母一人子一人で姑と生活してきた所へ、私が嫁入りし同居。
☆姑…昭和21年生まれ。私のダンナは一人息子で、お父さん(姑のダンナ)は早くに死別。
元々、人と関わる事と家事が苦手。料理は元々壊滅的にできない。嫌な事があっても内に秘めるタイプ。趣味もこれと言ってない。
身体は元気だが、アルツハイマー認知症を患い、のちに大事件をいくつも起こす。
☆私の父…昭和8年生まれ。
ワガママ、クレーマー、アル中。
178センチ90キロの大柄。
モンスターペアレントの「はしり」的存在(苦笑)
人に難癖つけるが、不思議と知り合いや友人は多い。
父の妻、つまり私の母は、私が9歳の時に6歳下の妹を連れて離婚。以降は音信不通。
父に認知症はないが、膝と腰が悪くなり次第に寝たきりに近くなる。同じ町内の近隣にて独居。
☆息子…平成11年生まれ。小さい頃は甘えん坊だったが、大きくなり辛抱強い優しい子に。
☆娘…平成16年生まれ。天真爛漫、天然ボケ、だけどしっかり者。大人の中で育ったせいか、同じ年の子より年上の女の子達と仲が良い。
☆母…昭和26年生まれ。
スーパーウルトラワガママ。
とにかくすぐキレる。145センチと背が小さい。
すぐ人と友達になり、すぐ喧嘩して絶縁する。
父とも喧嘩ばかりしていた。
家事が絶望的に一切できない。
30年ほど音信不通だったが、後に登場。
☆妹…6つ下。
彼女が3歳の時、両親が離婚し離別。
私の記憶はただただかわいい妹。
後に登場。
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当時(今から8年前)の私は、某大手介護事業所で有料の管理者をしていたが、グループ内異動によりサ高住管理者→さらに異動で新規オープン施設の管理者を任される事となり、
とにかく忙しい。
見学対応だけでも一日中追われるが、
☆地元の事業所への営業
☆施設の建設の進捗確認
☆仮入所の方のケアをどう進めていくか、ケアマネさんと話し合う
☆新規オープンに向け介護職員への研修
☆見学対応した方の住所地等から、施設からどの方向のどの地域からの問い合わせが多いか、営業の成果がどう出たか分析
☆スーパーバイザーとオープン後の方向性について日々話し合う…
などなど。
頭の中は、仕事の事で殆どを占めていた。
…そんな忙しい最中、姑も父も日々老いていくのを生活の中で実感していたが、
先に顕著に異変を感じたのは、姑の方だった。
冷蔵庫の整理ができない
何でもビニール袋に入れてクローゼットの奥に直してしまう
物がない、誰か盗ったんじゃないのかと、当時中学生だった息子が疑われる。
家の中に泥棒がいるから、ご飯は、自分一人で部屋の中で食べると言い引きこもる。
その騒ぎのスパンが、週に一回だったのが
だんだん間隔も狭くなってくる。
私は、ダンナに話をしてみた。
「お義母さん、認知症じゃないかな。介護認定受けた方がいいと思うけど。」
しかし、彼は介護とは全く違う職種。
自分の母が、まさか認知症になっているとは思えなかったようで
「まさか。生活にただちに支障をきたしている訳でもないし、まだ大丈夫。それに、まだ60代後半だし。本人の性格的なものもあるでしょ?」
…これはまずい。
男の人って、自分の母が特別大切だし、
そんなオーバーな。くらいに思ってるんだろうな。
まず、生活に支障をきたしてからでは遅い。
介護認定には、時間を要する。
そこから施設の検討となると、更に時間を要する。
かと言って、私が介護はよく知ってるから!と強く言っても、意固地になられて話が頓挫するのは目に見えている。
ここは、根気強くその日その日にあった事を話ししながら、積み重ねて行くしかない。
日々、
何故か息子だけが疑われる話(私や娘は一度も言われた事がない)
買い物で同じものばかり買ってきて冷蔵庫が詰め詰めになってる話、
その中の傷んだ食材で調理をして、台所から悪臭が立ち込めていて、当時小学生だった娘が泣いていた話、
鍋をいくつも焦がしている話…
でも、
「まだ何とか家で見れるでしょ。施設なんてそんなお金ないし。うちでは無理。」
勿論、自宅介護も考えたが、普通に外出も行動もしてしまえる認知症の人の自宅介護ほど、大変で困難なものはない。
ぱっと見て普通のおばあさん。いや、おばさんという感じの若さだし。
人と接するのが好きではないから、人の話は聞かない。話して制御できるタイプではない。
【認知症には近隣の理解】とよく言うが、仮に、失火でもしたらこの家を離れないといけなくなるのは目に見えている。
車に轢かれでもしたら、運転手さんが本当気の毒過ぎる。
電車に轢かれたら、莫大な賠償金になるかも。
恐らく、そのうち家にも帰れなくなって行方不明になるかも知れない。
残念ながらまだ、現実的に認知症でも助け合って生きていける世の中ではないと感じているし、
助け合うって何よ?
何を助けてもらうのよ?
家族がきちんと見ろ。
以上。
となるのも目に見えている。
まして、内気で近所付き合いもないうちの姑が、ご近所の世話になったら、余計に引きこもりになるだろう。
姑が自宅で住み続けるのは、様々な意味で無理だろうと感じていた。
ダンナへは、色々な施設、事業所の形態がある事もこんこんと説明し続ける。
私は、歩ける、排泄に問題なく認知症だけ突出してきている姑には、最終的にグループホームが向いていると判断していた。
ただし、グループホームは要支援認定では入居できない。
入居も空きはまず無いし、すぐには出来ない。
姑の身体能力から考えて、突出した認知症で、
要介護1がギリギリだろう。
要介護ならグループホームに入居できる。
そこを目指し、空きが出るまでを違う形態の施設でお世話になるしかない。
とにかく、まずは介護認定の申請!!
そうひたすら言い続けて、ようやく申請にこぎつけた。
なんだかんだで、半年の歳月を要した。
②へつづく