介護職員が親の介護で仕事を辞める?!⑥

頭部流血状態で発見された姑は、3針縫う大怪我となったが、脳等には異常が無かったのが、不幸中の幸いだった。

同時進行で父の介護を毎日していた私は、結局何とかギリギリの形で姑の事も見ていたが、ケアマネさんと話し合い、急遽近隣の老健を2件紹介してもらえた。

近いA老健は、何かと利便性が高く、姑にとってもアットホームな雰囲気だった。地域ではあまり件数のない超強化型老健のため、最長で半年の入所となる。

もう一つのB老健は、少し遠くて精神科系の病院が母体のため、認知症にかなり特化したカラーだが、母には少し雰囲気が合わなさそうだった。

B老健は昔、訪問介護の責任者をしていた頃に居た先輩ケアマネさんや、ディケアの職員さんが居ると風の噂に聞いていたので、ケア的にはいいんだろうなと、かなり悩んだが…。

やはり姑に合う合わないを第一に考え、A老健に入所する運びとなった。

父の家にご飯を届けて、身の回りの世話をして、姑の面倒を見て仕事をしていたが、姑が安全に入所で生活できるようになった事で私自身、少し介護疲れから解放された。

当たり前だが、自宅介護は施設のようにはいかない。外出する事を止める事はできない。それを完全にしようものならば、閉じ込めてしまうしかなくなるからだ。

毎日色々なジレンマと戦っていた私は、姑に申し訳ないと思いながらも、預かって頂けるありがたさを感じていた。

自分が介護士ではなく、家族という立場に立ち、改めてしみじみと感じれた事。

この気持ちや、この立場、状況は いつか介護士として復活した時に大切に持っていようと心に誓った。


父の方は、当初何とか歩いて自宅内や近所のスーパーまでは移動できていたが、膝関節の可動域が痛みにより制限され、だんだんと行動範囲が狭くなっていった。

元々、酒飲み。大食い。宵越しの金は持たない。

身体は動かせないのに、口八丁手八丁。

腹立たしく、つい感情的に怒ってしまう事もあった。


離れにある浴室まで、何とか誘導して入浴介助をしていると、訪問介護をしていた頃を思い出しては、1人しみじみと考え事をしていた。

やっぱり、介護士が親の介護で仕事を辞めないといけない世の中は、このままではダメなんだ。

将来は、自分の親や親戚を入れたいと思えるような介護をしている事業所で、直接関わらないように等工夫は必要だが、何かニーズを拾えたらいいな。

そんな夢を思い描くようになった。


⑦へ続く


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