夏は苦くて、切ない季節。
中学生の頃から…いや、社会人になってからもしばらくの間吹奏楽に没頭していた私は、コンクールを筆頭に夏の思い出が多すぎて、毎年少し感傷的になってしまう。
思えば、自分の生きたいように生きようとしていたつもりが、あの頃から多数の理不尽な事に巻き込まれ、そして生きづらい展開になっていく人生に変わりはなかったように思う。吹奏楽もやらなくなってしまい、楽器に触れる事も無くなって10数年程経つ。
何故あんなに懸命になれていたのかと、今では不思議なくらいに興味も無くなってしまった。それどころか、深夜にケーブルテレビでやっている何処かの中学や高校の吹奏楽のコンサートを見ると、胸が苦しくなって涙が出てきてしまう。社会人現役だった頃はそんな感情にはならなかったのだが、全てを受け止められなくなってからは、自分がそれに青春のほぼ全てをかけていた事や情熱さえも、思い出す事を憚られた。
自分の不器用さや、女子特有のグループやらカーストやらにまんまとやられたアフォな私を、自分でとくと諦めてしまったのかも知れない。何せ、生まれてから社会人になるまでの自分の歴史は真っ黒で、唯一の光がさす部分が部活動だった。音楽をしている間は全てを忘れて没頭できたから。
たぶん、今の私には昔からの辛い事の方が音楽をする楽しさよりも多く積もり積もってしまって、永遠に取り除かれる事がないだろう、と脳内が判断してしまったのだろう。苦しくない間に終わっておけば良かったな、と思う。
恋愛ごとまでもが、一時期は吹奏楽関係の人だったりもした。それもまた、ちょっとしたトラブルもあった。若気の至りと言えばそれまでだが…。
何せ全てを賭けてしまう、人生ギャンブラーな自分の本質には、自分でも呆れてしまう。
懸命になりすぎる事をやめて、結構経つのに。
それでも、その時の人達との再会があると胸の奥から苦いものが喉へ上がってくるような不快感と苦しさを覚える。
鈍感になりたい。なれないけど。
ずっとこんな人生なのだろうな。そう思う。
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父が生きていた頃によく言っていた。
許せないものを、許す必要はない。怒って生きていけばいい。そうするしかないのだ。
私は、腑に落ちる部分もありながら、ずっと引っかかっていた。
許す事ができず、怒りだけで生きる事は、人を認めない事ではないのだろうか。
そして、辛いままに、うずくまっているだけではないのか。ただでさえ、自分の中で消化できない事の多い、デフラグをかけれない私がそんな生き方をすれば、きっともっと孤独でもっと寂しい人生になるだろうと感じた。
それと同時に、傍若無人な父だからこそ、できる生き方なのであって、私にはできない生き方だと勝手に解釈をし、その話は、私の脳内からほぼ忘却されつつあった。
父が死んで4年経つが、ある日ふと、小さな記憶のカケラを拾った私は、ようやく彼が言わんとしていた事を理解できた。
許せるものなら楽だし、それがいい事もわかっている。しかし、そう簡単にできないから人間なのだ、と。であれば、自分が得心できるまでは、怒りしか無くても、それは仕方がない事なのだ。
怒りたくて怒っているのではない。他の上手い方法を、自分の中で見つける事ができない。
「時間に解決してもらうしかない。」そう言いたかったのかも知れない。また、それでどうしようもなく怒っている様子が更なる傍若無人キャラ確定となり、損をしていた事も多々あったように思う。父は、きっと私よりもっとピュアで、生きづらい程に真っ直ぐ過ぎたのだろう。
その娘の私といえば、自分が色々あった理不尽な事を、いつものようにただただ、心の奥底に押し込めて押し込めて、カチカチに頑なになってもなお、まだあまつさえ本音までもを押し込めて。
自分で自分の柔軟性をカチカチの干からびた梅干しのようにしてしまって、怒るでも悲しむでも無く、どうしようもなくなり、ただそこに居ただけなのだろう。
…少しずつでいい、柔らかい心に戻したい。
今は心からそう思っている。
辛い事として見てしまう事が多いのは、人生を損していると思うから。
何よりも、しなやかさがなければ、この生きづらい現代の世の中はもっともっと息苦しくて、そのうちまた私の心は壊れてしまうだろう。
悲しみや苦しみがわかる人は、優しくなれるって言っても、それをしなやかに受け止め、自分の事実として得心できたらの話、だと思う。
苦くて切なくて、暑い夏を、ほんの少しだけ思い出しても楽しめる日が来たらいいな、と思いながら
入道雲を眺めては、人生折り返したじゃんなぁ、なんて事をふと思っている。