その日は突然やってきた。〜介護職員が介護の仕事を辞めたその後①〜
…話が時系列でなく、3年と3ヶ月前に飛んでしまうが…。
介護職員(私)が介護の仕事を辞めた後、一番ぐるぐると様々な事を考えた日の事を、書こうと思う。
…私は、介護職員を辞めて既に3年が経過していた。
某市の保育関係施設の事務局の局長という仕事をしていた。
局長の仕事は多岐に渡り、労働環境を市内で均一にする(規約だけではなく、実際の業務も)事。
元々は、個々の保育施設が個人事業主のような形で保護者に任せた運営をしていたが、労務管理が難しく、給与計算等を年々代替わりする保護者がやるのは、専門的要素も大きく負担になるため、市内で条件を一律にする代わりに、管理をできる所を市がやるのではなく、委託機関としてやっていいよ。という運びになり、管理する場所を「作る」という役割から、管理を実際に行いながら、統一されたルールの中で仕事をしてもらうよう「調整」していくという役割に移行する。
これがかなりの労力だった。事務局が発足して3年目という時だった。何もかも一からのルール設定、設定すれば皆んなが賛成はあり得ないので、毎回何かの苦情が殺到する。それを諌めて、話し合って規約にする、の繰り返し。
勿論、別でクレーム対応等々もある。
その激務がたたり、私は心身共に体調を崩してしまい、暫くの間休職を余儀なくしていた。
姑は、念願だったグループホームに無事に入居ができ、自分の体調を見ながら、父を見る事だけに専念していた。
母も亡くなり二年が経過していた。
父は、すっかり足腰が弱りきり、ベッドの側にポータブルトイレを置いて何とか排泄ができるが、既に台所までの移動もできなくなっていたため、
近所に住む私は、朝、昼、晩と様子見に行き、ポータブルトイレの処理をしたり、食事を運んだり、身体を清拭したりする毎日だった。
元気だった頃は、行動範囲も広く、口も恐ろしく達者で、恐らく介護認定を受けて訪問介護に来てもらっても、ヘルパーを拒否するだろうと思い、自分で最後まで看取ろうと覚悟はしていた。
しかし、父はまるで牙が抜け、戦意喪失した狼のように大人しくなっていた。
休職も3ヶ月に渡り、そろそろ復帰を少しずつして行こうという段階で、一時期寝返りも打てなかった父が、奇跡的に椅子に座れるまでに回復していた。
仕事に復帰した、2月5日。初日の昼休み。
いつものように、お昼ご飯を持って行く。
…家の中が、やたら静かである。寝てるのかな?
父の寝室に行くと、いつものように横になり、寝ている父が居た。
「お父さん、お昼ご飯持ってきたよ。」
…返事がない。静かに目をつぶっている。
「お父さん?」
揺さぶっても、叩いても、返事がない。
頸動脈を触るが、脈に触れない。呼吸していない。
…まさか。嘘でしょ? 寝てるんじゃなくて??
電気毛布が入っており、身体は暖かい。
私は、慌てて心臓マッサージを始めながら、携帯をスピーカーホンにして、救急車を呼んだ。
『はい、火事ですか?救急ですか?』
「すみません、救急です。今、父の家に来たんですが、父が息をしていなくて。12時15分に発見しました。住所は…」
訪問介護で、何度か行ったら倒れていた、亡くなられていた事があり、救急車出動要請の対応は、初めてではない。
淡々と仕事のように対応する。何とも皮肉なものである。
『わかりました。救急車が、5分程で向かいます。心臓マッサージは念のため続けて下さい。』
「わかりました。よろしくお願いします。」
…寝ているだけと信じたい。
今日から仕事復帰した所なのに、このタイミングはなんなんだろう。
心臓マッサージを続けながら、色々な事が頭を巡った。
とりあえず、職場に連絡し、今日は戻るのは難しい事、状況と詳細は後ほどまた追って連絡すると伝えた。
救急車が到着した。
暫く、状態確認をした後、隊員さんが
「残念ですが、既に亡くなられていますね。これから、警察に連絡をして警察が身元の確認等を行いますので。」
病院大嫌いでもある父は、かかりつけ医と呼べる医者も居らず、警察が入るのは致し方ない事だった。
警察が来て、代わるがわる違う人に同じ質問をされる。
ここにはいつ来たのか。
今日は朝から何をしていたか。
普段はどれくらいの頻度で来ているのか。
玄関の鍵はかかっていたか。
…事件の可能性がないか、第一発見者である私が嘘をついていないか確認するために、わざとこうして3人くらいの担当者が質問すると、聞いた事がある。
勿論、事件性はないので何度聞かれても同じ返答。しかし、これって結構疲れる。
結果、2時間くらいして 事件性はなしと判断され
近隣の診療所のお医者様にお願いし、死亡診断をしてもらう運びになった。
葬儀屋にも連絡した。
主人の職場にも連絡した。
診療医が死亡診断をし、書類は後ほど診療所に取りに来て下さいという事になった。
父は、恐らく朝私が来た後くらいに亡くなっていたようだ。
医者が帰って程なくして、葬儀屋が来て父の遺体を運んで行った。
…昼過ぎにここに来たのに、時間は16時前になっていた。
びっくりするくらいに、静かだった。
そして、父はもうこの世に居ないのだ。
2年前に、母を亡くし父も。
42歳にして、私はもう両親が居なくなってしまった。
…わんわんと、声を上げて泣いた。
涙もそのままに、その場に立ち尽くしてしまった。
両親ともに、はっきり言って毒親だった。
いい思い出なんて、殆ど無かった。
それでも、肉親が居ない事の寂しさを、ようやく実感した。
②に続く