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85.学習支援員時代の思い出

私は大学を卒業してから4年間は学習支援員として過ごしました。当時は教員が有り余っている時代で採用試験は受からず、講師(臨時教諭)になることもできませんでした。

ちなみに学習支援員とは、学校や自治体ごとで仕事内容が変わります。
・TTとして授業に入る
・特別支援学級の補助員
・不登校生徒対応
・学級に入れない生徒の対応

 などが私の地域では一般的です。私が最初に赴任した学校はこれのどれにも属さない、個別の授業対応でした。

 授業についていけない生徒を1〜3名ほど受け持ち、主に数学の授業を教えていました。その時の思い出について話したいと思います。

生徒層

受け持つ生徒層は、低学力、不登校ぎみの生徒たちでした。生徒は来たり来なかったり、数学の授業を教えても次の日には内容を忘れているような生徒たちでした。

 とても根気のいる仕事内容で、成果が果たして出るのか・・・?といつも不安でいっぱいでした。中々成果が出ず「自分の存在意義は?」と苦しむこともしばしばありました。

不登校ぎみの生徒が通信制の高校へ

 最初個別の指導をした生徒でとても印象に残っている生徒でA君という生徒がいます。

  A君は、不登校気味で、体も弱く、服用している薬の影響で授業中はぼーっとしていることもありました。数学の授業を教えても、次の日に忘れているような生徒でしたが、次第に継続して登校できるようになり、コツコツと勉強に取り組めるようになって来ました。

 中学卒業後は通信制高校に通うこととなりました。当時は「通信制高校って何?「学校に通わなくてもいい、怪しい学校」という印象でした。

しかし、A君は卒業後に学校に顔を出し「スクーリングで東京に行ったからそのお土産持って来ました!」と、中学校に在籍した時とは見違えるほどハキハキと喋る姿を見て。

 「通信制高校で何があった!?」と興味が湧くほど成長していました。
 のちに私は通信制高校で勤務することになるのですが、面接の時にこの生徒の話をしたほど印象に残っている生徒です。

 通信制高校の偏見をなくし、勤務するきっかけとなった生徒となりました。

数学を教えて

数学を教えていたのですが、私は数学は専門外です。結局最初に赴任した学校で3年間個別の数学を教えることとなりました。

 その時に取り組んで効果があった事を紹介します。

図形の問題は実際に描かせる。作らせる。
 図形の問題はイメージしづらいです。なので、実際に問題文を見ながら図形を描かせたり、立体の図形を作らせたりしました。それだけで生徒はイメージすることができるようになります。

見通してを立てて指導する
 数学は導入部分は簡単な問題から始まり、後半は応用問題となります。最初の問題を舐めてかかってくるので「この問題の解き方をしっかり覚えてよ!」「後半また出てくるよ!」と見通しを立てて教えます。

逆に応用問題から教える
応用問題から教えたこともあります。当然解けません。その時に
「難し過ぎて解くの諦めただろ」
「これは応用問題だけど、授業をしっかり聞けば来週には解けるようになるよ」

と、話すと来週が待ち遠しくなり、ワクワクして授業をうけるようになりました。

時には順番を変えることも必要だと知りました。

点数点あげることの意味は・・・?

今まで良かったことや、効果があった事を話しましたが、最後まで納得いかなかったことがあります。

「テストの点数を上げることの意味はあるのか・・・?」

 現実的な話をしますが、私が受け持った生徒たちはどんなに丁寧に教えても、20点から25点とかに上がるくらいしか効果が出ませんでした。

 授業中は理解していてもテストの時には忘れてしまうんですよね。だから教える事を諦めよう!ということではなくて、もっと本人たちが興味があること、できることにフォーカスした取り組みができないかな。と常々考えていました。

生徒や保護者、先生はテストの点数を1点でも多く上げることに目が行きがちだと思います。

 もっと、生徒達の興味関心があることを伸ばす考えが広まれば、生徒も伸び伸び育つのに・・・と考える今日この頃でした。


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