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『劇場版プロジェクトセカイ 壊れたセカイと歌えないミク』鑑賞レポ【ネタバレあり】

いやめっっっっっっっちゃ良かった!!!!!! 特にライブシーンは全員劇場で観るべき。臨場感がヤバすぎる。

前評判で、何にもなれなかった人、何かを諦めた人、夢やぶれた人、そうしてくすぶってる人は見に行った方が良いとあったが、ほんとにそれはそう。人生何もかも上手くいくわけじゃなくて、失敗だらけでボロボロの人っていると思う。そういった人に、それでも良いんだよ、前に進むのも、頑張って踏みとどまるのも、応援するよっていう人生賛歌がこの映画。心にモヤモヤを抱えているのなら、ハンカチをもって劇場へ行きましょう。自分はボロボロに泣きました。











以下本編

街なかのありとあらゆる電光掲示板にミクが出てくるシーンで、

「あっミクだ! かわい〜」

「何かのコラボかな」

みたいな反応で済んでいるのが、流石は世界に誇る我らが歌姫。普通だったらパニックだろうに。ここまで広く受け入れられてるあたり、初音ミクの存在の〝強さ〟を感じた。しかし、ここまでの地位にミクを押し上げたのは、曲を作り上げて、愛してきた数多の人々の想いがあるからだと思う。多くの人の想いが作り上げたセカイのミクの初登場シーンとして、これ以上相応しいものはない。すでに100億点。

また、CDショップのボカロコーナーをはじめとして、実在のボカロ曲たちがいっぱい流れて驚いた。クレジットの量がとんでもなかったけれど、あれ全部許可取ってもってきたのか……。いや原作ゲームでも沢山珠玉の曲たちを実装しているけれども、映画となるもまた勝手が違うわけで。いやぁ本当にすごい。うるっときた。挿入歌を後で全てフルで聞きたいと思います。

あと、今回、ミクが電子の存在という感じが冒頭でよく示されていたように思う。後半でまた触れるが、まさにバーチャルの存在なんだなと思った。どこにでもいる、皆の隣にいる、初音ミクということがよく出ている演出。いやぁすごい。(すごいしか言っていないが、もうなんて言ったら良いかわからない。それぐらい良い)

ミクが歌を届けたい人達、セカイに来て本当の想いを見つけてほしい人達は、芸事の道であったり、受験であったり、仕事であったり、学校であったりで散々傷ついて、追い詰められて、精神的にぐちゃぐちゃになっている人達だと思う。精神的に追い詰められると、音が非常に耳障りに聞こえることがある。たとえ愛した人であっても、大好きな曲であっても、耳障りで聴きたくなくなり、無音の世界に引きこもることは、珍しい話ではない。自分自身も経験がある。本当にあれはキツくて、あの、自分だったらスマホは投げるし、PCは画面を割ります。そういった音に対する拒絶をノイズという形で表現したのかと捉えた。座布団100枚。あと、初期のまふゆは、歌が届かない人達と同じだったんじゃないかと思う。いまギリギリ踏みとどまっているけれども、もしかしたら、と考えずにはいられない。

届けたい人達に届けるために、それぞれの愛であったり、想いであったり、歌を聞くというのは、あの音楽の失った人々の形であるミクにとって充電みたいなものではないかと思う。歌える歌が未完成の一つしかないことは、充電不足みたいなものではないか。足りないから届かないというのは、気持ちが足りないのではなく、エネルギー不足もあるのではないかと思う。一歌の歌が少し届いたのは、充電が足りているからなのではないか。おそらく、そうだと思う。

それぞれのユニットには、それぞれの理想があり、それに基づく歌がある。きっとミクが歌に触れる過程では、どれか一つのユニットだけでは駄目で、あの5つ全てに触れたからこそラストシーンに辿り着けたのではないかと思う。人の数だけ、ミクは違う顔を見せる。いろいろな人の想いのセカイのミクがミクであるためには、ジャンルの違う、想いの違う人の歌に触れる必要があった。自分はそう解釈している。

「頑張ってみる」

とミクが言い残し、色んな人のところへ会いに行くシーン、ミクは報われないし、皆追い詰められてるし、色々としんどかった……。拒絶の言葉がキツすぎる……。ミクが電子の存在と前述したが、ミクが泳いでるシーンって電子の海≒インターネットを通して会いに行ったのかなと思った。あんなに頑張っているのに、全員報われないよ……。

話は進みまして、それぞれのセカイに欠片が降ってきて、あのミクのセカイに呼ばれるシーン。後々気がついたが、他のユニットがあのセカイに同時に呼ばれたのにも関わらず、お互いのことを認識できてなかったんだな。1つのユニットにズームすると、他のユニットのメンバーがシルエットになっていたのは、異相がズレているから。それを感知できるネネロボ、トンデモなく高性能。

そしてミクですよ。あれだけ罵詈雑言を浴びながら、人を恨むでもなく、ひたすらに耐えて、助けを求めることもせず、最後の最後の力で全員を逃がすというという判断をするのが切ない。もうどうしようもなかったのに気がついたんだろうな。心の底から、人を愛している姿に涙せずにはいられなかった。一言ぐらい……助けてぐらい……しんどいぐらい言ったら良いのにと思いつつ、人の子を危険に晒すような真似はしないあたりが彼女らしいのかなと思う。辛い……。

あと、あのセカイやミクが飲み込まれた後のセカイに散らばっていた破片が1と0だと気がついたときは鳥肌が立った。バーチャルという電子の存在が散らばっているからあの数字なんだ。冒頭から思っていたが演出が良すぎる……!

セカイが飲み込まれていくシーンで、ニーゴのところだけがもう抗いも慌てもしなかったのが印象的だった。いやあの何も無いセカイは逃げようがないし、なんとなくらしい感じもするが。いやでも……。まああの、せめて皆一緒に、という意味であの中央の舞台で坐して待つ姿勢をとったのかとも思う。ワンダショのところは……すごかった。あそこだけアクションものだった。

ボロボロになったセカイがほんとうにもう痛々しい。ほんとうにしんどい。皆の想いがボロボロ。たぶんミクの声が届かなかった人達の心もああだったんだろうな。そこから立ち上がるぜ! やろう! となる明るさと、辛さに寄り添う優しさが、皆の言葉に出てて良かったな……。立ち上がり方も、慰め方も、寄り添い方もそれぞれのユニットで違うから、あのそれぞれの色の出たライブシーンに繋がるんだと思う。

ビビバスは背中で語ってついてこさせるような、ワンダショは夢の世界に連れてって現実を忘れさせてくれるような、モアジャンは隣で応援してくれるような、ニーゴは一緒に落ちて、谷底で光を待ってくれるような、レオニは眩しい光をくれるヒーローのようなライブシーンはぜひ劇場で観てほしい。自分はモアジャンが結構刺さってボロボロに泣いた。どれに救われるかは人によって違うと思う。全然違う毛色だからこそ、多くの人に届くのだと思う。どれも芯は同じだけれど、表現の仕方は違って、刺さり方も違う。たぶん、それで良い。それが良い。

少々自語りをさせてもらうが、自分は大学受験に失敗して一浪した挙句、結局滑り止めに進学した。母校は良い大学だったけれども、滑り止めに行った、失敗した、学歴なんかないみたいな状況が自分の中で十字架になっていた。自分はなんて駄目で愚図なんだろうって思いながら生きてきた。でもあのライブシーンで、何者にもなれなくても、失敗しても、落ち込んでても、それでもいいんだって思えた。あのライブシーンを不合格の文字を見た昔の自分に見せてやりたかった。どれだけ、救われただろうかと思う。今、少しだけ、自分の中の傷がふさがって、自分を赦せるような気がした。少しだけ、頑張れる気になった。ほんとうに、よかった。(書いてたら泣けてきた)

それぞれのユニットが、心を開かせて、とっかかりを作ったからこそ、想いが力を与えて、最後にミクがあの綺麗な姿で歌ってくれたんだと思う。音楽が、届いたんだと思う。とても綺麗だった。楽しかった。素敵だった。もう一度見たい。

あと特典でもらった類の色紙に、「来てくれたお礼に素晴らしいショーをお見せしよう」書いてあったんだが、本当に素晴らしいショーだった。最近ストレスが溜まって情緒不安定だったが、少し元気が出た。明日からも頑張れそう。

この世で懸命に踏みとどまっている人たちへの、明日を生き抜くための応援歌が込められた素晴らしい映画だった。ありがとう。見に行って本当に良かった。関係者の皆様方、ボカロを愛するすべての方々、ありがとうございました!

〈了〉

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