『好き』のハードルを低く
好きはいくつあっても困らない!
少なくても楽しい。
いっぱいあればもっと楽しい。
そのためにも好きのハードルは低く低く、
少しでも良いなぁって気持ちが湧いたら好きって言って良い!
『好き』は
愛の深さでも、知識量でも、
いつから好きだったかの時間で測るものでもない。
ましてや誰かと競うものではない!!!
ぼる塾の田辺さんは
と仰っていて本当にその通りだなと思った。
それにこれがバズったということは
多くの人がこの気持ちに共感をしていたってこと。
張り合いたいわけじゃないと思ってる人はたくさんいる。
好きを誰かにマウントを取るための道具にしない。
好きは自分をご機嫌に、ハッピーにして生きていくもの。
人に「これが好き!」って言うのも
田辺さんが仰るように、
誰かと共有したい! その感情を分かち合いたい!
って気持ちが始まりなはず。
それがいつの間にか
自分の好きと他人の好きを比べるようになり、
勝ち負けみたいなものを生み出し、
もっと知らなきゃダメ、長く好きでいられなきゃダメ、
いくらそれにお金と時間をかけてきたかが好きの証明みたいになってしまい、
それに当てはまらないものを
好きじゃない。って自分で排除してしまったりする。
でも、本来の"好き"という感情は
もっとフワッと小さく沸き起こることもたくさんあるはず。
好きに正解などないし
他人に「それは好きと言ってOKです」「それは好きではありません」って
ジャッジされるものではない。
正解があるとするならば
自分がほんの少しだけでもそう思えたなら正解なんだよ!
今日の夕食で「美味しいなぁ〜」って思えた物があるなら
もう好きな食べ物に入れたって良い。
別に毎日食べたいようなものだけが好きじゃない。
朝、寒いけど人が少なくて静けさがあって、1日が始まる感じが
何か良いなと思えたら「なんかあの感じが好き」で良い!
言葉にはできない抽象的な好きだってたくさんあるはず。
どんなに微かでも
自分がプラスの気持ちになったことは
好きって思って良いと思う!
好きって感情だから無理やり作り上げることはできないけど
ハードルを下げれば
好きと言える要素はたくさんあるんだと思う。
自分の中で好きがたくさんある方が
好きを感じれる機会、
つまりご機嫌になったり幸せだと感じれる機会が増えるわけだから
人生楽しそうじゃない?✨
別に他人に報告する義務があるわけじゃないんだから
他人に自信をもって好きと言えなかったとしても
自分の手の中に抱えきれないくらいた〜くさん持っていればいいんじゃない?
もちろん、1度好きになったものをずっと好きである必要もない。
その時その時で新たに好きだと思えるものが増えたり
今は好きだと思えなくなって減ったり
でもまたそれがいつの日か好きだと思ってまた拾うことがあったり…
そんな風に常に移ろうのが人の感情だから、好きも変わっていって当然。
だから、これからもたくさん
好きを拾ったり手放したりして
"今現在の好き"で今の自分を満たしていきたいなぁと思う!
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