絶筆「裏紫」を想像する
一葉の絶筆「裏紫」は、未完のまま数ページで途絶えている。「上」とあるからには「上中下」あるいは「上下」の構成を取ろうとしたのだと推察される。お人好しの旦那に嘘をつき、浮気相手の男のもとへ冷ややかな薄笑いを浮かべながら駆けていく女の話で始まる。(僭越ながら)きっと一葉のこと、破滅に向かう女の抒情を書こうとしていたのではないかとも勝手に想像してしまうが、これは明治初中期の一般社会そのものでもあった。
眉山、風葉、鏡花、花袋、柳浪など自然主義文学をはじめ、当時は世を反映した悲惨小説、深刻小説が流行し、それほどに市井は生きるに困難な時代であった。その後、このテーマは急速に衰えていったが、もし現代的意義があるとすれば、かえって苦しさを軽さに変えていこうとする風潮の裏返しにもとれる。軽さを装えば装うほど、内実の悲惨さを暴露して息苦しくなっていく。
あるいは一葉「裏紫」は、真情と背信、苦痛と快楽といった裏表の心情をひとりの女に託そうとしたのかもしれない。しかし和歌での「うら紫」は「恨む」の掛詞であり、やはりここは私怨による情死や破滅の線が想像される。激しい病に苦しみ、もう筆をとることができなくなった作家が、最後の最後に残した未完の絶筆であった。