そして舟をこぐ
中学校の国語教師は、もうほとんど頭髪のないかなり年配の、学年主任を兼ねた男性教員で、万年国語劣等生で理数科志望の私は、退屈なその授業中はいつもコソコソ数学の問題集をやっているか、うとうとしているばかりだった。
あるとき、うとうとを見逃さなかった先生は、「おい!舟をこぐな!」と鬼の形相で叱り飛ばし、チョークが一直線に私の眉間目掛けて、武士もさながら命中したことがあった。はて、「舟をこぐ」とはいかに。その意味などもちろん知る由もなかった私は、「ぼくは海も川もきらいで、舟などこげません」と真っ向から正直に反抗して、さらに教師を激高せしめ、その少ない頭髪を湯げ立たせたあげく、鬼を阿修羅に変身せしめたが、江戸は享保寛保と活躍した俳諧師、横井也有の俳諧集「鶉衣」を読んでいると、期せずしてこの「舟をこぐ」に出くわした。
物忘れのひどい老人が、昨日学んだことを翌朝になるとすっかり忘れてしまう件で、「朝ぼらけにはこぎ行く舟のあとなくて」とある。元は「古今和歌集」の「世の中をなににたとへむあさぼらけこぎゆくふねのあとのしらなみ」だそうだが、なるほど、うつらうつら居眠りしてしまう上の空は、意識が舟をこいで遠くに行ってしまうことであり、しかもその曳き波とて跡形もないというわけだ。あるいはいまにも眠りに落ちそうになるからだの揺れが、舟をこぐ身振りと似ているからか。そんなふうに叱ったさすがは国語教師だったと、いままざまざと振り返る。
その教師は20年前、ひとり永遠の舟をこいでひっそりと泉下に旅立った。いまこうして、亡き教師の思い出の一喝を、也有を通じてその意がはじめて分かって、ユーモアと機知に富んで面白いのに、途中でコクリコクリしてしまう江戸俳諧の金字塔「鶉衣」に、文学に読書に苦手な私はいまもせっせと舟をこいでどんぶらこ。