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「思い出す人々」

同時代をともに生きた人々との交流を綴った内田魯庵の随想「思い出す人々」、なかでも斎藤緑雨りょくうと大杉栄のものがよかった。

緑雨は小説家としてはパッとしなかったものの、歯に衣着せぬ批評家として文壇に恐れられ、また皮肉屋とダンディズムを貫き通した。一葉は最晩年、名声と評判を得るもそのことをかえって煩わしく思っており、緑雨は「あなたが書きたいことを書きなさい」と励まし続けた。決して色眼鏡で見ないそうした緑雨に、一葉も心を寄せていたことがその日記から伺える。緑雨は若くして病とともに零落し、文壇から追われ、晩年は忘れ去られたが、「私の死後に燃やすように」と一葉から託されていた日記を保管しており、実に自らの原稿はすべて焼却して世を去ったという。

一方、大杉の知られざる素顔は佐藤春夫も書いているが、魯庵のものは1923年の関東大震災直後の動静をつつがなく語っている。憲兵をして鬼だと恐怖せしめた超危険人物、アナーキストの大杉は、実に子だくさんの子煩悩で、毎日乳母車を押しては幼子をあやしていたという。さすがに子供にとっては父親は父親、アナーキストも役人も学者もあるまい。昨今、奇怪きわまる不可解な事件が後を絶たないが、はて、いったいどちらがアナーキストなのか。残された幼子らを思うと、その悲運凄惨な最期についての件は、こんこんと胸を打つものがあった。あまりに無念であったろう。

社会思想家、無政府主義者の名で通った大杉だが、抜群の語学力を生かし、ダーウィンの「The Origin of Species」を「種の起原」として翻訳し、日本にはじめて紹介したことは、今日ではほとんど知られていない。

魯庵の「思い出す人々」は、こうして私の小さな胸のなかに、確かな「思い出」として残されていった。

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