見出し画像

自己規定の推論---囚人のジレンマの時間的構造化

隔離された独房に収監された囚人AとBが、それぞれ同時に白状する囚人のジレンマ、これは時間とは無関係な静学的なゲームだが、もうひとり囚人Cを加え、時間的に構造化し動学的に考察してみる。すると、他者を通じた自己規定の仕方がみえてくる。物語はこうだ。

囚人A, B, C がいて、そこに所長がやってきて、こう言った。「ここに5枚の札がある。3枚は白で2枚は黒。これをいまから君たちの背中に貼りつける。他人の背中を見ることは許されるが、決して話してはならない。そして自分の背中の札の色が分かったもの、その理由を論理的に説明できたものだけを解放しよう。」そして所長はすべての背中に白を貼った。

結果は、A, B, C とも同時に所長のところへきて、同じ説明をしたので、すべて解放された。それぞれの囚人はどのような推論をしたのだろうか。

Aの推論1:
私はBとCの背中が白であるのを見ている。もし私が黒なら、Bは白と黒を見ているはずだ。ならばBはこう考えるはず…「もし私が黒なら、Cは黒い背中を2つ見ていることになる。とすれば、Cは所長のところへ行くはずだ。黒は2枚しかないのだから。でもいまだCは動き出さない。ならば私Bは白だ。」

しかしここで、A は B が動き出さないのを見ている。そして C も動き出さないのを見ている。

Aの推論2 :
すると、私が最初に立てた仮定「私は黒」は、間違っている。私は白だ!

この推論をすべての囚人がしたために、3人とも同時に所長のところにきて同じ説明をした。ここで時間が重要な要素になっているのは、他の2人の背中を見て考えてる私が「他の2人が動き出していないのを見た」瞬間があること。これを3人とも時間に沿って同時に考えていることだ。さもなくば、この論理構成は成り立たなくなってしまう。

他者が何を思っているのかを推論し、その振る舞いを確認することで、人間はこうして自己規定をしていく。ここにはそうした「私」が3人いて、それぞれが互いのあいだに、自分の存在を確認しているといえる。


cf. The Puzzle of the Hats
Rubinstein, A. "A Course in Game Theory" pp71-72



いいなと思ったら応援しよう!