
GAROのトミーの誕生日
GAROのトミー・日高富明。
1950年2月22日生。
メンバーの中ではいちばん年下。
お誕生日おめでとうございます。
実家は門前仲町の食堂。

高校のときにはすでにギターの才能を発揮し、エレキ合戦の勝ち抜きでコンテスト荒らしの異名をとっていました。
そして高校の同級生・松崎しげるをボーカルに据えたバンドで活躍。

練習に使っていたスタジオでマーク(堀内護)と知り合います。
ロックミュージカル『HAIR』のオーディションが縁で、マーク、ボーカル(大野真澄)とGAROを結成。
GAROはブレーク前、CCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)の前座をつとめたことがあります。
CCR目当ての聴衆からは「帰れ」コールを浴びせられました。
するとトミーが「うるさい!!」と一喝。
静まりかえった客はおとなしくGAROの演奏を聴き、終わったときには大きな拍手を送ったといいます。
トミーが作った曲『明日になれば』(アルバム『GARO3』収録』)は、CCRの『雨を見たかい(Have You Ever Seen The Rain)』に通ずるものがある、とはマークの意見です。

オールドギターのコレクターとしても知られたトミーは、東海楽器リヴォーン・シリーズ、グレコのスーパーリアル・シリーズの顧問をつとめました。
所有するギターを精密にコピーさせ、1950年代のストラトキャスターやレスポールを日本の楽器メーカーに再現させたのです。

コピー楽器群のなかで、ずば抜けた存在感を放っていたのがグレコとトーカイであることは間違いない。トーカイは、レスポールにおいては驚異的な執念を見せ、レギュラー製品ではLS120を頂点としたバーストクローンの生産を行っていた。フォークロックトリオ「ガロ」のメンバーTommyのバーストを採寸して、1978年からその完璧なコピーとしてLSシリーズを作っていったことで知られる。
トミーが監修した日本製ギターはフェンダーやギブソンといった本家に危機感を与え、以降、本家もオリジナル・モデルの再現をし始めました。

トミーの愛したエリック・クラプトンは今年も4月に来日します。
(本文敬称略)