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オープンDの音色を追って 79 ~GAROとかまやつひろしと山本達彦~

(約4分で読めます)
 まずは訂正がございます。
 前回『学生街の喫茶店』の英語ver.に関して事実誤認を書いてしまいました。
 GAROの皆さんの名誉のためにも、たいへん申し訳ありません。
 英語版、正しくは、タイプライターのラジオCMのために歌われたものだそうです。
 いつもお世話になっているGAROファンの先輩から教えていただきました。ありがとうございます。
 英語版はこちらで聴いていただけます。

 さて、10月11日のラジオ『K's TRANSMISSION』(DJ:THE ALFEE 坂崎幸之助)では、主にGAROのファーストアルバム『GARO』についてが語られました。
 THE ALFEEの方々は、しばしばGAROのことを話してくれるので聞き逃せません。
 発言の大意を以下にまとめます。
『暗い部屋』(作詞作曲・堀内護 編曲・GARO)は最初にコピーした曲、コピーしたくなる曲。『暗い部屋』ができるかできないかがアマチュアバンドにとっての試金石。あと『時の魔法』(作詞作曲・堀内護)も。しかも上手くないとダメ。僕らは上手かった(笑)。
●(『暗い部屋』は)ほとんどずっと三声でしょ。カッコ良過ぎて。チューニングは、一弦と六弦を下げる。二弦を半音上げる。このチューニングを解明する鍵は、イントロのいちばん最初にある。
●イントロにはホントはトミーのビブラートのきいたリードが入っていたのに、アシスタントミキサーがそれを消しちゃった。
●ミキサーにはパンチイン、パンチアウトという技術が要る。同じチャンネルに音を放り込んだり急に切り上げたりする技術が。
 今はいくつもチャンネルが使えるから大丈夫だけれど、昔は「すいません、前の(音)消しちゃいました」ってことがけっこうあった。

『暗い部屋』のイントロ問題は、これまで何度か聞きました。
 ボーカルから聞いた話として伝わっていますね。
 当事者からじかに聞いたという点が肝心です。
 ネットの記事や動画投稿サイトの解説系動画では、間違った情報が「正史」扱いになっていることも多いですから。

 また、GAROがレコードデビューする前にバックをつとめたかまやつひろしの話題もありました。
 1975年、『我が良き友よ』(作詞作曲・吉田拓郎)のあとに出たシングル『水無し川』(作詞・松本隆 作曲・吉田拓郎)。
 この曲でバックをつとめたのがALFIEアルフィー(当時の表記)だそうです。そういった意味でもTHE ALFEEはGAROの後継なのですね。
『水無し川』って、秦野市にある川のこと? 個人的に秦野が好きで水無川にも足を運んでいる私は喜びましたが、そういうことではないようです。ちょっと残念。

今年の2月に水無川に行ったときの写真です
雪が降った後でしたが、水はまったくありませんでした

『水無し川』という曲には、アコースティック編成のときは、アコギ:かまやつ、高見沢 マンドリン:坂崎 ベース:桜井。バンド編成でやるときは「オレンジ」というバンドがついた、とのことです。
 その「オレンジ」には山本達彦がいた。
 ……という話を聞いた瞬間、私の記憶が甦りました。
 私は山本達彦が好きだったのです。
 ですから「オレンジ」というバンド名にも覚えがありました。
 ライヴハウスも、山本達彦を聴きに大阪・梅田のJAIL HOUSEに行ったのが人生初だったはず。あのライヴハウスはかまやつひろしの店だった!
 つながりましたね。
 過去の私はGAROに近いところまではたどり着いていたのです。惜しい。

 急に思い出したものですからJAIL HOUSEで調べてみました。
 ネット上にはJAILという店名でディスコとして情報が残っていました。

 ディスコだったっけ? JAILだけでHOUSEとはついていなかったっけ?
 写真を見ると、確かに廊下が牢屋の檻みたいになっていた覚えはあります。一度しか行ったことがないので、いろいろあやふやです。
 シティポップスの貴公子と呼ばれた山本達彦が何故かまやつひろしのバックを? と当時は疑問でした。
『我が良き友よ』のイメージで、かまやつひろしをフォークシンガーだと思っていたからです。
 代表曲のイメージが本来の持ち味と違うところがGAROと共通していますね。

(つづく)
(本文敬称略)


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