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オープンDの音色を追って 91 ~GAROと東京音楽祭と73年の音楽シーン~

 前回、1973年の雑誌「ヤング・ギター」をご紹介しました。
 ヤフオク!で古書店から買ったものです。

 GAROが載った部分ばかり取り上げましたが、雑誌には隅から隅まで目を通しました。

ヤイリのギター

 広告ひとつとっても「その頃の物価」が載っているので面白いです。楽器はやはり高価ですね。

鹿賀丈史の舞台デビュー

「新人」として鹿賀丈史が紹介されています。
 初演では題名が『イエスキリスト・スーパースター』だったんですね。
 マークとボーカルの出た舞台『ヘヤー(HAIR)』のことも紹介されています。

東京音楽祭のスケジュール

 ジョルジュ・ムスタキが第二回東京音楽祭のゲストとして来日するというニュースも載っています。
 
 東京音楽祭といえば、第一回、第二回にGAROが出場しています。
 その一回目のエントリー作品が『美しすぎて』(作詞・山上路夫/作曲・村井邦彦)で、これのB面に収録されていたのが、運命の『学生街の喫茶店』(作詞・山上路夫/作曲・すぎやまこういち)です。
 レコードデビュー時には「すべてメンバーのオリジナル曲で活動する」との契約だったGAROですが、東京音楽祭に出場するこのときだけは職業作家の作品をやれと言われ、『美しすぎて』は良い曲だったので(確かに!)従ったのだそうです。

 そして二回目の東京音楽祭。
 今度はちゃんとメンバーのオリジナル曲『忘れていたもの』(作詞・堀内護、大野真澄/作曲・堀内護)でエントリー。
 しかしこの曲は、ライヴ音源しかないのです。
 東京音楽祭参加作であるにもかかわらず、スタジオでのレコーディングがされていないのはとても不思議です。
 ちなみに、サビに「メリーゴーランド」という詞があるので、GAROのことをよく知らない頃には「これが『地球はメリー・ゴーランド』という曲なのかな」と思っていました。

 ついでに東京音楽祭の記録を眺めていると、第三回のグランプリが『ミドリ色の屋根』カナダのルネ・シマールで、同曲の作曲は村井邦彦でした。

ALFAレーベルから出ている『ミドリ色の屋根』

 村井作品は先に書いたように一回目にもエントリーしていますから、どうしてもグランプリを獲りたい? あるいは獲らねばならない理由があったのかな、と思いました。

 ここから先は「ヤング・ギター」73年5月号誌面でお楽しみください。

表紙の裏にはアルバム『GARO3』の広告
「ミュージック・ライフ」はデビッド・ボウイ来日特集
ニール・ヤング『Alabama』の譜面。GAROが得意とした『Ohio』についてもコメント有。
マークが影響を受けたドノヴァンの、オープンDチューニングについて
バズ
チューリップ
キャロル
ガロ(キャプション「ボーカルの大野君は入院中」)

(つづく)
(文中敬称略)

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