オープンDの音色を追って 84 ~トミーと小田和正~
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GAROを入口にいろいろな音楽を聴き続けています。
GAROにいちばん影響を与えたのがCSN&Yであることは明らかですが、ハモったときの声の感じやオリジナル曲はビートルズに近いのではないかと思う今日この頃です。
レコーディング時、ビートルズのコーラスにはリンゴは基本的には参加しないらしいのです。
ライブの映像を見ても、多くの場合スタンドマイクは二本で、上手のをジョン、下手のをポールとジョージで使っています。奥でドラムを叩いているリンゴには声を拾うマイクがありません。
ということは三声ですね。GAROと一緒です。
ハモったときの倍音がすごい感じも似ていると思います。
つい最近気付いたのは、トミーの『オールド・ファッション・ラプソディー』(『GARO3』収録)が『When I'm Sixty-Four』(『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』収録)に似ていることです。
GAROのメンバーの中でビートルズに好意的な発言が多いのはボーカルですが、マークもトミーも影響は受けていますよね。
トミーのことでもう一つ。
2004年のテレビ番組『風のようにうたが流れていた』の映像を見る機会に恵まれました。
同年10月から12月までTBS系で放送された小田和正の番組です。
コンセプトは「小田和正の個人的音楽史」で、幼少期からの音楽の思い出、時代背景などを振り返りながら、いろいろな曲を演奏していく形でした。
その中でトミーとのエピソードが語られ、トミーの作った『地球はメリー・ゴーランド』が歌われました。
小田和正
「僕らの音楽がやがてニューミュージックと呼ばれ始めた頃、音楽性を同じくする仲間がよく集まりました。
いつも音楽の話をして、ギターをかき鳴らしながらあるときは楽屋でのセッションに及んだものです。
そんな中に、GAROがいました。
GAROは三人のグループで、お洒落で、かっこ良かったです。異色でした。
他のみんながTシャツ一枚で出ていたクソ暑い真夏の野外コンサートに、別珍のスーツを着て出て来たときはみんなぶっ飛びましたが、ホントにかっこ良かったのであります。
僕はその中でもトミーといちばん仲良しで、初めて吉野家に連れてってくれたのもトミーでした。
(観客爆笑)
で、一緒に、あるとき地方へ行ったんですけども、そのとき、ライヴが終わって二人でどっか行ったんですね。どこへ行ったか覚えてませんけど、とにかく、出かけて、二人だけで飯食ったんですかね。
帰って来たら、部屋に帰って来たら、みんな一つの部屋に集まったりして、旅館だったですね。そしたら急にフッと変な雰囲気になりまして。
「ヘンだなー」と。
で、あとできいてみたら、みんなでトミーの悪口を言ってたらしい。
(観客に向かって)ね。シンとしても困るんですけど。
(観客笑)
まだみんな二十歳そこそこですから、いろんなことがあります。
しかしながら、あとで「そうか。きっと、俺の悪口も言ってたに違いない」と、思い至ったわけです。
「嫌われ者同士、仲がいいのかな」と考えたりしました。
(観客笑)
そんなこともホントになつかしいことです。
そのトミーは、残念ながら、1986年、亡くなりました。
GAROはとにかく音楽性も含めてすてきなバンドでした」
(注)別珍=ベルベットに似た、光沢のある生地。
吉野家というところが腕白でいいですね!
悪口というのはトミーのギターの腕前や人気に対する嫉妬じゃないでしょうか。
『地球はメリー・ゴーランド』のカバーは、以下のアルバムにも収録されています。
・鈴木雅之『Tokyo Junction』
・マークfromGARO『時の魔法』(feat.鈴木雅之)
・大野真澄『VOCAL'S VOCALS』
これらのアルバムではタイトル表記が『地球はメリーゴーランド』になっていますが、アルバム『GARO』とシングル盤では中黒(・)があるので、この記事ではそちらに倣いました。
(つづく)
(文中敬称略)