見出し画像

私はやっぱり、母親の、母親。

私は、幼少期から、母親の母親の役目を、ずっと果たしてきて、育ってきました。

しかし、そんな母親も、母親が9歳の時に、白血病で自分の母を亡くしました。そのため、母親もそれ以来、「母親」という存在に、甘えることができずに、一人で7人家族の母親代わりをして、育って来ました。

そんな環境で育ってきた原因もあり、母親は、幼少期の私に、昔から、どっぷり甘える生活を送ってきました。

私は、母親が父親と絶えず喧嘩をして、泣いて愚痴を話す母親の相手を、幼少期から、ずっとずっと、担ってきました。

面前DVも、たくさん受けてきた…。

そんなこんなで、母親と私の距離は、とても近く、私は、母親のクローン人間のように、母親が今何を思っているのか、今何をしたいのか、して欲しいのかが、何も言わなくてもわかります。

これが、共依存。というものです。

共依存は、とても怖いものです。よくないことです。なので、私が、今その治療をがんばってしています。

しかし、今日も、母親が、父親の言動に、深く傷ついてしまい、私に、大泣きして、愚痴をこぼしてきました。

それを、私は、嫌だけど、受け止めて、

そうか、お母さん、辛かったね、でも、お父さんも、がんばってるところあるんだよ、人間完璧はないからね。

私は、お母さんにとって、とても都合のいい人間かもしれないけど、それは、特別なんだよ。

私が特殊なんだよ。

私も、お父さんや他の人を比べるのは、よくないよ。私がお母さんに、特別に愛情をたっぷり注いでるからね。

でも、私も、お母さんに甘えたい。

わたしにもお母さんが欲しい。

だから、今、お母さんと私の間に、透明な板を作って、お互いに、自立して、支えないといけない時だけ、支えられるように、していくんだよ。

と、母親を諭しました。

母親は、ポロポロポロポロ、涙を流して泣いていました。

双極性障害に加えて、関節リウマチになりかけてしまっている、弱者の立場にいる母親に、今日は優しくしなきゃな、と、お風呂でたくさん優しくしてあげました。

シャンプーもいつも以上にしっかり洗ってあげたり、リウマチの痛みのため、手が使えないので、体も全身しっかりと、足の先まで、私がゴシゴシ洗ってあげました。ドライヤーも、優しくしてあげました。

母親は、満足して、涙も止まって、少しスッキリしたみたいです。。、

でも、私も、お母さんのお母さんになるのは、正直、疲れる…。、

画像1

私も、お母さんのように、誰かに甘えたい気持ちが、本当は、ある。

でも、今は、まだまだ、お母さんを支える側になって、がんばろうかな、って思いました。

でも、私も、母親との距離をちゃんと作るのも、大事かな、って。、カウンセリングの先生にも言われたから。☘

まだまだ、私の母親の母親の道のりは、長いな、って思いました。

眠たくなってきたので、今日はここまで。

おやすみなさい。

😴


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?