虚しい。
今日は、大切な人の誕生日なのに、
祝いたくても、
素直に、純粋に、
祝えません。
今まで、たくさん支えてきてくれた人なのに…
私が保護室に入ったとき、
いつもいつも、子育ての合間を縫って、
来てくれて。
なのに、私が傷つきやすかったり、いろんな自分の変なところがありすぎて、
うまくいかない…
先生には、先日の診察で、
私が、事件が毎日起こる…、
「自分に、障害があって、本当に悔しいです…。」と発言すると、、先生から返ってきた答えは、
「君は、障害じゃない。それは、個性だ。」
と、強い口調で、言葉を浴びせられました…
私は、「え?」
と思いました。
「個性?…」
いろんなテレビや本に、
「発達障害は、個性だ。」
と書いてあるのは、ずっと前から、見てきました。
ですが、そのひとが、発達障害を背負っていて、そのひとの力、いわゆる偏った、その突き抜けた「個性」が、日常生活に、プラスに働いているなら、わたしも納得がいきます。
私が診察室で、障害があって辛い、障害があって悔しい、と何回も嘆く私に、なんとか軌道修正しようと、暗示をかけているのかと思うけれど、今の私には、それが、全く受け入れられない。
先生も、発達障害で、いろんなことが苦手だったりするけれど、先生は、有名な大学や大学院とかも卒業して、今となっては、精神科の名医になられて…。
先生は、とても人情が分厚く、人間の心理、精神に対して、とても熱心に、向き合っていらっしゃいます。自分の病院も開業されて、とても、輝いて見えます、私には…。
障害があれども、みんなに必要とされ、輝いている…
その状況で、あるならば、私も、自分の病気や、障害に対して、胸をはって、
これが、わたしの個性なんだ。
と、言い切ることができます。
…しかし。
私は今、この年齢で、赤ちゃん返りの幼児退行は出るわ、そのせいで、両親との衝突が、毎日絶えず、大泣きをし、涙も鼻水も垂れ続け、体力を消耗し尽くす。病院に通わなければ、病気が悪化してしまう、薬を飲まなければ、病気がまた、爆発して、再発し、再入院になりかねない…。また、この年齢で、結婚してるわけでもない、仕事を、バリバリして、キャリアを積んでいる訳でもない…。
こんな、自分…こんな状況、状態で、、
私は、「個性」だなんて、一ミリも思えません。先生の意見に、反対しています。
同意できません。
共感できません。
納得できません…。
悲しいです…。
これが、個性だなんて……
生き辛い毎日を、
身体は、棺桶に丸ごと入りながらも、
なんとか、まだ生きれる、
まだ、生きれるかもしれない…と、
精一杯、この毎日を
続けて頑張って生きているのに…
これが、個性だなんて…
毎日の生活に、害が障じているのに…
…これを、「障害」と、言わないのでしょうか…
辛いです…
輝いているひとこそ、
そのひとの「個性」と、
初めて言えるのではないかと、私は思います。
そんなポジティブに思えるような生活を、毎日送っていません。
私は、
生きるだけで、精一杯です。
この心臓の拍動を、止めない…
ということだけで、精一杯です…
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