「伝える」というより、「連れていく」?
「アフリカに関心のない人に、どうやってアフリカについて伝えていますか?」
先日、キ・アフリカさんという団体の会でお話する機会があって、そこで参加者の方にした質問です。
「私はアフリカに連れていきますね。なにがぴんとくるかは人によって全然ちがいますから」
こんなふうに答えた方がいました。
布がいいという人もいれば、音楽がいいという人もいるし、スラムの雰囲気にハマる人もいるし、自分が役に立てるなにかを見つける人もいる、と。
いままで、Salmonsというチームで、自分たちがアフリカで感じたものを「伝えよう」と、模索してきました。
現地で心奪われたカンガ(東アフリカの布)の写真展をしたり、現地で感じたことを4コマにしてみたりして。
ただそう言われてみると、一番「伝わった」感があったのは、4年前に母とタンザニアに行ったときだったかもしれません。
急激にアフリカに興味を持ちはじめた大学時代。
大学ではやたらアフリカの話はしていたけれど、実家でアフリカの話をするのは、なんとなく避けていました。
「またそんな危ないところの話して」と心配をされるのが、面倒だったから。
それがひょんなきっかけで一緒にタンザニアに行ってから、TVでアフリカの特集があったり、デパートでアフリカの雑貨が売っていると、むしろ母の方からLINEが来るようになりました。
母がなにに「ぴんときた」のかは、ちゃんとは聞いてはいないけれど。
「なんでタンザニア、タンザニア言ってるかわかった」とは言っていたかなという気がします。
「伝わった」というより、「感じてもらった」というほうが正しいかもしれません。
そんなことをぼんやり考えているときに、ちょうど話題になっているこの記事を目にしました。
「まずは、あなたが関心をもった国について、楽しく旅行されたらどうですか? その国の悲しい部分を先に見ようとするのではなく、素敵なところを発見してみてください」
学生さんの「海外でボランティアしたい」という気持ちは立派なのですが、ある国をよく知りもせずに、いきなり援助したいというのは、その国に対して失礼だということに気がついてほしいのです。
10年前の私は、まさに「援助をしたい」と思ってアフリカに行った学生でした。
そして実際に現地を訪れてみて、その傲慢さに気付き、アフリカの文化や暮らしに魅了されて、写真展やらなにやらやってきたのです。
その地域のなかにはいりこんでみて、それぞれの人がなにを感じるのか。
その後の人生で、直接的にせよ間接的にせよ、なにが生まれるのか。
そういう「感じる」機会を持ってみたくなる呼び水のようなことを、できたらいいのかもしれません。
きっとそれは、「伝える」ではなくて、「シェアする」というようなスタンスなのだろうな。
そんなことをぐるぐる考えたのでした。