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なんで空の写真をとりたくなるのだろう

外に出るといつもいて、建物の窓からでも見える空。
そんな空を見ていつも、きれいやなあ〜としみじみ思う。
そしてあんまり写真をとるくせがない私でも、空の写真はとりたくなる。

そういえば、たまに絵を描きたくなって、そのときに一番に思い浮かんでいたのは空だ。
でも書かずにやめてしまう。
何回か書いて、空の絵はなあ、なんかちゃうねんなあと書かなくなってしまった。

なぜ空に惹かれて、なぜ空の絵を描きたくなるけど描かないのか。
空の色は毎日違うからその色を見るのがすきなんだと思う。
そして、空の絵を描きたいけど描かないのではなく、描きたいけど描けないと思ったのだろうな。

あんなに目を、心を満たしてくれる自然から発生する色を私には描けなくて、見てた方がいい。見て、目の中に入れて、その瞬間満たされる方がいいから最近はあんまり写真もとらず、空を見て心の中で「うわー!今日も最高やな!」、「心満たされるわ〜」、「そろそろ春が来そうなんかな」とか1人で歓声をあげたり、しみじみしたり、そのときを感じている。

電車の中で見る空は地面から見るのとはまた違って、夕方はだいたいずっと窓を見ながら帰宅しているなあ。

いつかのInstagramで、犬の散歩に行ったときに見た田んぼと空の写真を投稿した。
そこには、「空の色がどんな色か、分からないような毎日を過ごさないように。雨のにおいとか、夏が来そうなにおいとかもちゃんとかんじたい」と書いていた。
今もそれは変わらないなと思う。いろんな意味を含んで言っただろうこの言葉の通り、今もこれからもそうありたいなとふと空を見ていて思った。

空の写真をSNSで投稿すると「病んでいる」と言われるようだけど、空がきれいすぎるんやからしょうがない。投稿頻度とか、写真に添える文章の内容に大いに影響されそうやから、空のせいではないと思う。でも、病んでる風のことを含めて、いつもは考えられないことを考えさせてくれるのが空なんかな。

今は空を見上げて、「今日もいい一日やったな〜!なんやかんやな!」と思えるぐらい余裕のある生活ができている。時間も気持ちも。総体的に、出不精すぎず、出過ぎず、考えなさ過ぎず、考え過ぎずって感じ。この調子でいきたいな。

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