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お暇のその後

また自分のおもしろい感情に出会ったので、自分の状況を観察して書き留めてみました。数年後にふりかえったら面白がれそう。


お暇宣言をしてから、ずっと横須賀のとあるお家にいさせてもらっています。イタリアで最後にみた月が三日月で、日本に帰ってからのお暇期間で一度だけ夜ごはんに連れてってもらったときにみたのが半月で、そして今日月をみるとほぼ満月でした。
ずっと家にいて寝ていたのは、現実をみたくないからなのかな、自分あいかわらずすぎるやんと思っていました。たしかにそれも大いにありました。でも、1番の原因は人が怖かったからみたいです。
今お世話になっている場所に住む人たちとは話していたけど、世の中に出たくなくて、優しい人としか関わりたくなくて、今からまた起こりうるかもしれない悲しいことから逃げたくて冬眠していた気がします。でもそういうときってほんまに体がだるくて頭が痛くて、異常が出て、寝ることしかできなくなるもんなんですね。体と心がつながってると実感できてびっくり!

今日、夕方から人と会うために外に出たいと思っていたけれど、また布団に潜ってしまって約束の時間にその場にたどり着けませんでした。でも出たくて、3時間もおしてしまったけどその待たせていた相手の人がなんともないような素振りで返事をくれてなんとか外に出られました。ちなみに昨日は頭皮から足先まで全身が痒くなって、その状況さえ説明できずに夜になってしまったのに、その相手の人もそんな時もあるよと言ってくれて人って優しいなに囲まれています。

3時間おして慣れない場所から慣れない場所に向かう電車の中では足がブルブル震えてしまって、自分でもどうしたことだとびっくりしたぐらいで笑ってしまいました。そのとき、ふとそういえば昔もこんなことあったなーと思い出したのが、人生ではじめて意図せずお暇をもらった中学生のときのことです。
中学のとき、いじめっぽいことにあいました。そのときは中学か家しか自分の居場所がなかったから、最初はとりあえず学校に行くんだとがんばっていました。そのときに一番過酷な時間だったのが電車での移動でした。当時通っていたのが私立だったので、通学に片道1時間弱かかっていました。その1時間の間にいろんな想像ができて恐怖で引き返したこと、足が震えながら、吐きそうになりながら行っていたことを久しぶりに思い出しました。状況は全然違うのにあのときにタイムスリップしたような感覚だったんです。そのときの自分も苦しんでいたから、今もまだ苦しいなと思うことはたくさんあるけど、生きてたらいいことあるし、なにより素敵な出会いをして素敵な人たちに囲まれてるよって言ってあげられた気がしました。

人の優しさにふれているのに、世の中に出るのが怖いと考えてしまっていて、お暇というよりぬるま湯に浸かっている状態なのか、甘えなのかとも思ったけれど、そうではなかったと思います。他の人からみたらしょーもないことでも、しんどかったから。いろんなことが積もってたんだなと思ったから。迷惑と心配はかけてしまっているけど、傷つけてはいないから。休める今、休むことで前に進めそうだから、生きていけそうだから、しっかりお暇の意味がありました。
甘えやわがまま、ありのまま、自分自身でいること、境界線が難しいなと思います。自分自身への甘えもしかり、今までは自分を尊重してもらえなくても甘んじていた気がするけれど、嫌なこと、傷ついたことはしっかり相手に伝えたいと思いました。伝えたつもり、伝わっているつもりでいたこと、多かったと思います。それは甘えでした。実はつい最近、それに気づけて実行できました。今は辛いけど、幸せだった時間からの産物として気づかせてもらいました。きれいごとかもしれんけど、何事も経験として自分の肉になってくれています。

これからちゃんと、“つもり”やのに被害者ヅラするのではなく、甘んじたりあとから文句を言うのでもなく、自分の気持ちを正面から伝えていきたいです。そうすれば、案外うまくいくかもしれないし、いかないかもしれない。けど、試す価値はありそうな気がしています。試してから後悔しても、あほやったわ〜、ちゃうかったか〜、まあしょうがないな〜と笑える自分でいたいです。

そして、あらためて自分のいる環境があたたかいこと、恵まれていることを再確認できる機会でした。私がこんなふうに引きこもっていても、なにもネガティブなことを言ってこない周りの人たちに頭が上がりません。ほんとのお暇をいただきました。
やっぱりそういうときに思い浮かぶのは、私もそうありたい、そうしたいってことです。愛を循環させたいです。



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