改めまして、こんにちは#30
note毎日継続30日目。
仕事のこと、育児のこと、本のことなど書いてきたが、今日はここで一旦わたしの自己紹介をしたい。
誓って、ネタ切れなどということではないと言っておこう、モゴモゴ…。
noteを継続して思うけど、自分を振り返るって良い。
文章にするといつでも読み返せるし、自己紹介なんて大人になるとする機会ってあんまりないから。
自己紹介〜高校まで
名前:鎌田優紀子
出身地:宮崎県東臼杵郡美郷町
年齢:34歳
兄妹:姉との2人姉妹
あだ名:かまた、かまかま、かまちゃん、おかま、ゆきちゃん、ゆっこ
高校生になるまでは6年間バレーボールに打ち込んでいた。
ピアノをする人には不向きなのでは?と言われるが、なぜか半強制的にバレーボールをしなければならない環境だったし、体を動かすことが好きだった。
中学生の時にはキャプテンになって、そこそこ上手かったと思う。
特にサーブは自信があって、早朝6時から友人と自主練に行っていたスポ根である。
母校:宮崎県立日向高等学校
坂を登った場所にある日向高校は、日向入郷地区唯一の普通科高校だ。
なので大学進学を考える人たちは大体ここへ入学する。いわゆる地元の進学校といえばここ。もちろん姉もここを卒業した。
有名人は野球選手の青木宣親選手がいる。
わたしは吹奏楽部で3年間活動して、卒業して宮崎を去った。
宮崎から大学進学を考える場合、県内では9校から考えなければならない。
県内の大学に進学するにしても、美郷町からは相当な時間がかかる。通うのは無理なわけで、それなら県外に出たいと思った。
ご覧の通り、陸の孤島だ。
ちなみにその奥にある諸塚村という場所は、坂本龍一氏が代表になっている一般社団法人モアトゥリーズと地球環境保全につながる森づくりの協定を2010年から結んでいる。
「なぜ美郷町ではなかったのか…!」と思うが、諸塚村はさらに緑に囲まれた地域だ。諸塚村と美郷町のどちらが緑に溢れているかなんていう議論は、無意味なので控えておく。
諸塚村のサスティナブルな森林資源は、環境、社会、経済のバランスがとれた森林として認められているそうだ。行くには相当時間がかかるが、神秘的で魅力的な場所が多い。
そんな利便性の悪い場所に住んでいるため、県外の大学に進学することにしたわけだ。
大学進学
大学は長崎市内にある活水女子大学音楽学部へ進学した。
進学して知ったのは、ここは地元では有名なお嬢様大学だということである。
おそらくこの大学内の誰よりも田舎から、風呂敷を抱えてやってきたわたしは、一般庶民と貴族との格差に驚いた。
まず、バッグはヴィトンというのはお決まり。
一応言っておくが、宮崎にヴィトンはない。熊本も数年前に撤退した。長崎にもないが、福岡からの入学者が多いのもヴィトン率が高い理由だと思う。
音楽学部は学費が他の学部よりも倍近くするので、お嬢様も多く、ヴィトン率はさらに高い。
その上、美人が多い。モデルか?どこかの令嬢だろうか?というオーラだ。
正直、わたしのファッションセンスやマナーはここで鍛えられたといってもいい。ファッションセンスが良いわけではないが、ファッションは好きになった。
「いや、おまえ音楽を勉強しに行ったんじゃないんかい!」と思うだろうが、真面目な性格だったため単位は落としたこともなかったし、次席で卒業できた。
首席でなかったのは、わたしより努力家で非の打ち所がない同級生がいたのだ。
とにかく毎日がファッションショーだった。
活水は長崎市内の一等地と呼べる場所にあって、観光地のオランダ坂を登っていくと赤い屋根の洋館が並んでいる。そこを高いヒールを履いて日傘をさした女子大生が歩いていく。
わたしは女子寮に入っていたのだが、寮はまるでホテルのよう。エレベーター付きでご飯も美味しかった。夫にこのことを話すと「エレベーター付きの寮?」と鼻で笑われた。彼は国立大学卒で、寮にエレベーターがついているなんてとんでもない、と思っていたからだ。
エレベーターを降りる時には「お先に失礼します」と声をかけて降りるように、といったことも教えられた。
今では生徒が減ったことにより、女子寮は閉寮されてしまった。ぴえん。
音楽教育のゼミに入っていたので、主科はピアノを副科では声楽を学んで、教員免許取得の講義を受講するので2年生までは休む暇はないほど時間割はびっしりと詰まっていた。
音楽教育から音楽制作へ移ったのは2年次だった。
ありがたいことに両親は勉強に打ち込んでほしいと、アルバイトはするなと言われていたし寮だったため門限もあったので、アルバイトは4年生まですることはなかった。
おかげで教員免許は中高一種を取得して、卒業と同時に念願の教員に。
教職にすんなり就けたのも、作曲に打ち込めたのも、次席で卒業できたことも両親のそんな応援があったからこそだと感謝している。
それに、相当な学費を支払っていたのだから、できる限りの勉強はしたいと思っていた。親孝行はそれしかできないと思い、作曲をしては演奏会に出る、という毎日だった。
わたしが活水で一番好きだったのは、同級生とあれこれ話をすることでもファッションを楽しむことでも、演奏会でも講義でもない。
もちろんそれらは楽しかったが、音楽学部棟のピアノ室から見える水辺の森公園、長崎港に入ってくる船や海の水が光に反射した港と長崎の街を眺めながら、作曲をしたりピアノを弾く時間が好きだった。
あれほど充実した時間は、人生ではじめてのことだったと思う。
わたしの今
居住地:熊本市
子供:4歳と2歳の男の子
趣味:スピンバイク、散歩、読書
特技:初見演奏
家は9年前に建てた北欧住宅に住んでいる。
家は夫が31歳、わたしが25歳の時に建てたので築9年。その経験から日刊住まいさんで住宅関係の記事も書かせていただいている。
この5年間は、時間の大部分を育児に充ててきた。
わたし自身、これからの働き方をどうしようかな?と迷う部分もあるし、子育てもまだまだこれからのこと。悩みは尽きない。
けれどママとして、1人の女性としてわたしらしく生きていきたい。
そう思えたのは、世の中には多くのママたちがそれぞれの場所で頑張って、闘っていることを最近知ることができたからだと思う。
こうして振り返ると人生は不思議。
10年後にはどう変わっているんだろう。いろんな人の自己紹介も知りたいな。