お稽古事論、その3 好き過ぎw
お稽古に実際通っている時間をもっと増やしたーーーいと思ったことも多々ありますが、今はそうは思っていない。
何故か?
すべての時間がお稽古と言うか「茶道」につながっているとわかったから。体感した、実感した、理解した、そう感じている、うーん違うな、わたしにとって「息をすること」と同じ茶道だから、24時間包まれているというか、そこにあるというか、そうだと頭で思ったのは今、まさに、なんだけど(笑)
書いていて「そういえば、思わなくなったなー」って(笑)
もちろん、道端の花を見て「あ、これ茶花だ!」と思うような知識的な部分もあるけど、その花に気付いていること自体、茶道の空気感なわけで。
こういうことの積み重ねが「茶道がわたしを構成している」と思う所以。
ここまで来ることなく、辞めちゃう人もいるだろうし、長年同じお稽古事をしていてもそんなこと感じない人もいると思う。
その人達とどっちがいいとか悪いとか、上とか下とか、終わるとか終わらないとかじゃなく、あぁ、みんな一つなんだよねーって思う。
あれ?なんか主題からずれてきた。
ちなみに一つだよねーって思うことが増えてきたのは、ヨガの影響かな?
そういうわけで(どういうわけ?)、習い事ってお稽古事って終わるものではなくて、その人の人生に入り込んでいく、ものなのだよなぁ、って思う。
わたしにとっては。
ま、好き過ぎるってことなんだろうな(笑)