「脇役」の存在は、ある意味「主人公」よりも重要だ。
「あるよ」
「暇か?」
「〇〇と〇〇、どっち?」
この台詞にピンと来た人は恐らく相当なドラマ好きだろう。
「あるよ」はキムタク演じる検事が大活躍するHERO
「暇か?」は刑事ドラマシリーズで人気の高い相棒
「〇〇と〇〇、どっち?」は現在放送中のミステリードラマ、真犯人フラグ
この3本のドラマに出てくる名脇役達のお馴染み台詞である。
ドラマに限らず映画、小説、漫画やアニメ、ゲームには必ず脇役が登場する。彼らの存在は決して目立たない。時には主人公の影に隠れてしまうことだってある。しかし、彼らは作品になくてはならない大事な存在なのだ。
ひと昔前まで、脇役は目立たない存在だった。主役を引き立てるただの登場人物の一人だった。しかし最近ではそんな「脇役」の定義は変わりつつある。名脇役と呼ばれている俳優を集めたバイプレイヤーズというドラマも大好評だったし、人気作品の脇役を主人公に据えたスピンオフ作品なんかも盛んに作られている。
今や「脇役」でも「主役」になれる時代なのだ。
加藤茶さんと、今は亡き志村けんさんは番組の中で二人でコントをしていた。その中で、カトちゃん演じる名も無き切られ役が、目立ちたいが為に悪戦苦闘する時代劇コントがある。大階段の上で主人公に切られ階段落ちをする。たったそれだけなのに、カメラに映りたくて必死になるのだ。時には切られる前にカメラ目線になってみたり。時には切られてからしばらくその場を彷徨って階段落ちを遅らせたり。終いには階段の手すりに全身を預け、滑り台のようにダイナミックに降りていく。
いつまで経ってもまともに階段落ちをしないカトちゃん。結局、監督役の志村けんさんがしびれを切らして盛大なツッコミを入れるという。視聴者はその二人のやりとりに抱腹絶倒するのだ。
「主役を引き立てる為に早く切られなければ……でも、どうしても目立ちたい…!」そんな思いが全身から溢れるカトちゃんの姿に視聴者はとても共感するのだろう。名作として今でも人気の高いコントだというのが頷ける。
この名作コントを見ても分かるように、私達は脇役に対してある意味では主人公よりも愛情を持ち、活躍を期待しているのである。
だから最初に挙げた3人の脇役達はその存在感とインパクトで多くの人の心に残っている。HEROと相棒に至っては放送開始からこれだけ長い時間が経っても人々に愛され続けているのである。大変失礼なことで申し訳ないのだが、俳優さんの名前も役名も私はよく覚えていない。しかし、例え覚えてなくても大抵の人には
「あるよ」の人
「暇か?」の人
「〇〇と〇〇、どっち?」の人
これだけで誰のことを言っているのか一発で伝わってしまうのだ。カトちゃんと志村けんさんの階段落ちコントにしても、
ああ!あの階段落ちのやつでしょ?
切られ役が無駄に目立ちたがるやつね!
と、これだけで話が通じてしまう。
一見地味なことかもしれない。だが、凄いことだと私は思う。「脇役」は大抵、大した台詞もないし見せ場もない。だから本来ならすぐに存在を忘れてしまうのだ。仮に覚えていたとしても「名台詞」も「名場面」もないから「あのドラマに出てたあの人」と言ったところで相手に伝わるかどうかは疑問だ。
しかし、これだけ毎回お馴染みの台詞が与えられ、存在感も発揮できるならばもう立派な主役なのではないかと私は思う。実際、HEROと相棒の二人はドラマが放送されてから長い年月が経った今でも違うドラマでお馴染みの台詞を言わされたりなど度々ネタにされている。
「暇か?」の人に至っては松本潤主演の99.9のスペシャルドラマで「ヒマカ工業」という会社の社員として出演していた。ドラマを見ていて意味が分かった瞬間、思わず吹き出してしまった程だ。
違うドラマの脇役が、また違うドラマに脇役として出て、違うドラマのお馴染みの台詞を言う
前代未聞である。お堅い監督なら間違いなく嫌がる演出だろう。しかし、それを見た視聴者は間違いなく喜ぶ。制作側はそれを分かっているのだ。それだけ「脇役」は制作側と視聴者側の両方から愛されているのだということが分かる。
「脇役」は時として主人公よりも人気が出ることがある。ひとつ例を挙げるとするならばスポーツ少年漫画「テニスの王子様」の跡部圭吾だろう。彼は主人公・越前リョーマのライバルである。いや、ライバル「の一人」なのだ。リョーマのライバルは跡部景吾の他にも沢山いる。皆、個性的で魅力的なライバル達だ。しかし、跡部景吾の人気はそのライバル達の中でも群を抜いているのだ。
人気投票、バレンタインチョコ獲得数などは毎年、主人公・リョーマを差し置いて1位を獲得している。毎年の誕生日には「跡部景吾誕生祭」がネット上で盛大に開催され、彼を心から祝福する手作りケーキやプレゼントの写真が溢れる。そして、「跡部景吾」の名前が一時的にトレンド入りするのである。私は元々漫画、アニメオタクだったので、この作品のファンでもあったのだが、跡部景吾はとても魅力的なキャラだ。一見人のことを見下し、俺様気取りのいけ好かない青年(中学生なので正しくは少年)だが、実はテニスと仲間、ライバルに掛ける思いはとても熱い。そんな姿にファンは魅了されるのである。
主人公よりも人気が出る脇役もいる。凄いことである。
小説を書く者としても「脇役」の存在は特別である。それと同時に、主人公よりもキャラ設定が難しいというのが脇役でもある。主人公よりも目立ってはいけない。しかし薄っぺらい存在でもいけない。この加減が非常に難しいのだ。何が言いたいかと言うと、つまり
彼らがいないと物語が成立せず、主人公が活躍できない。
彼らは、なくてはならない大切な存在なのである。
だから、私は小説の登場人物を考える時にはいつも脇役のキャラ設定に頭を悩ませるのである。それと同時に、魅力的な脇役を見る度にそのキャラを生み出した原作者を心から尊敬するのだ。
主人公のように華麗に事件を解決する訳ではない。
時には主人公を引き立て、自分が犠牲になることもある。
しかし、彼らはいつも画面の片隅で懸命に生きているのだ。
そんな魅力的な「脇役」を私はこれからも心から愛し、その存在に盛大な拍手を贈りたいと思う。