2,スキーの色々な話。

当時、学校でのスキー授業はもちろん、所属していたスポーツ少年団や友人との遊びに私はよくスキーをした。スポーツの中で一番思い入れがある競技は?と聞かれたら、間違いなく「スキー」と答えるだろう。それぐらい私にとってスキーは特別なスポーツなのだ。

ペンションの経営はとても苦しく、その影響で好きなものはあまり買ってもらえなかった。しかし、両親はスキー関係のものはよく新調したり、揃えてくれたし、友人とスキーに行くと言うとリフト代(回数券)もきちんと用意してくれた。スキー場では1シーズン使い放題のフリーパスも販売していた。それはディズニーランドでいう「年パス」のようなもの。裕福な友人達は皆それを持っていた。しかし、経済的に厳しい我が家は毎回、回数券で何とかしのいでいた。

だから、回数券が残り少なくなるととても悲しくなり、一緒に滑っている友人とリフトを乗り降りする度に「あと何回滑れる?」と確認し合っていた。もっと沢山滑りたいのにもう終わりだなんて……と、名残惜しかったことや自分もフリーパスを持てたら…と思ったことを今でも覚えている。しかし、当時の我が家がそのような高額なチケットを買うほど経済的な余裕がないことも子供ながらに分かっていた。

生活が苦しい中でスキーのリフト代を捻出するというのは簡単にできることではない。きっと私達、姉妹のために両親はなけなしのお金を用意してくれたに違いない。当時も薄々感じてはいたが、大人になった今思うとそれがどれだけ大変なことなのかがよく分かり、感謝の思いでいっぱいになるのである。

私は、真冬の晴れた日にリフトやゴンドラに乗って一気に上まで行き、目の前に広がる羊蹄山を始め、絶景を眺めながら滑ることがとても好きだった。また、昼間のスキー場も良かったが、ナイターもとても幻想的で魅力が溢れていた。昼夜、どちらも同じぐらいの魅力があった。

スキー場のいたるところに設置してあるスピーカーからは当時、流行っていたJ-POPが沢山流れていたことも今でも覚えている。1990年代だったので、J-POP全盛期の頃だろう。globeや安室奈美恵、華原朋美、ミスチル、スピッツなど今では懐メロとなっている曲が沢山流れていた。

また、友人と滑りに行った時の夕飯も楽しみのひとつだった。当時、スキー場のレストランといえば独自の食堂のようなものだった。しかしある日、そこに突然ケンタッキーができた。田舎町だったためチェーン店は殆どなく、子供だった私にとってはそれがとても嬉しかったのだ。スキーの合間に、友人と二人で「チキンホットパイ」を食べたのだが、それがとても温かくて美味しかったことを今でも覚えている。

スキーが得意だといっても、他の生徒達に比べると私はとても下手くそだった。スキーには大きく分けて三種類の滑り方がある。

1、ボーゲン……板を八の字にして滑る。初級。
2、パラレルターン……両足を揃えて滑る。中級。
3、カービングターン……パラレルターンのもっと豪快なやつ。上級。

基本的にパラレルターンのみで滑る子が大半だったが、私はボーゲンとパラレルターンの両方だった。特に急斜面では怖さが勝って大きなボーゲンになってしまうのだ。それが何とも恥ずかしくて「早く上手くなって皆と一緒にスイスイ滑れるようになりたい」と思っていたものだった。

特に私が苦手だったのは、巨大で無数のコブがある「第5」と呼ばれるコースだった。モーグルのコースを想像してもらえると分かりやすいと思う。

友人と一緒に滑る時は絶対にここを通らないようにしていた。しかし、スキー授業だとそうは行かない。上手な子達は皆、モーグル選手のようにパラレルターンを上手く使って垂直に、さっさと滑り降りてしまう。

しかし、私は足がすくんでどうしてもスピードが出なかった。ボーゲンでコブを避けながらゆっくり滑るため、いつまで経ってもゴールに辿り着くことができなかった。待ち切れない子達はその隙にさっさと麓まで降りてしまう。「皆に置いていかれた」と感じ、それが余計に私には辛かった。しかし先生だけは、私が滑り降りるのをずっと待っていてくれた。それが今でもずっと心に残っている。

私が中学2年生の時にこの町を去った。父がペンションを畳んだからだ。その後、札幌の田舎町に引っ越しをし、高校卒業までをその地で過ごした。なんと、そこもスキー場の麓だった。スキーには何か縁があるのかもしれない。私はそう思いながら過ごした。

かつて暮らした町でスキーをやっていた経験が活かされ、中学と高校のスキー授業では中級クラスに入ることができた。スポーツ全般が苦手で通信簿では毎回1レベルだった私にとって、それはとても誇らしいことだった。スポーツ万能で、いつも私を見下していた子がスキー初級クラスにいるのを見て「どうだ!私はあんたよりスキーが上手いんだぞ!」と、密かにマウントを取ったりしたこともあった。

私が冬五輪の競技の中で一番好きなのがモーグルなのは、間違いなく「第5コース」を滑った経験が主な理由になっている。当時、自分が恐怖に負けて超えられなかった壁(最後まであのコースを楽しいと感じることができなかった)をいとも簡単に、また鮮やかに滑り降りていく選手たちに尊敬の念を抱くのである。しかも、ただ滑り降りる訳ではない。その合間に二回もジャンプと大技を披露するのである。スキーはもちろん、あのコースを経験した身からすると、彼らはもはや人間ではない超人である。(当然ながら褒め言葉である)

もうひとつ、モーグルが好きな理由がある。それは同郷出身の選手が多いからである。私の小学校の後輩男子にモーグル選手がいた。残念ながらオリンピックには出場できなかったものの、たまに新聞で名前を見掛ける度に嬉しくなったものだった。北京オリンピックでも女子の一人に同じ中学校を卒業した選手がいた。同郷というだけでも嬉しいのに、まさかの後輩だ。あまりに驚いて叫び声をあげてしまった程だった。あの町、そして同じ学校からオリンピック選手が誕生していることを私は心から誇りに思う。これからも彼、彼女らの頑張りに期待し、その健闘を称えて大きな拍手を贈りたいと思う。

3に続く。

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