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満月会終わりました

満月会終了しました

昨晩の満月会、人が人を呼び、たくさんの方にお越しいただきまして、感謝申し上げます。気にかけて頂いたみなさまもありがとうございます!

満月が出た時に思わず歓声がわいて(月に拍手した!)、それが少しずつ雲の合間から見えるのに鮭の滝登りに似たような感覚があり、思わず、「がんばれー」と声をかけたくなりました。回っているのはこちら側も(地球)なわけで、こういったイメージも人間本位なのかもしれませんが、月を何かに見立てて愛でるというのは古来から行われているもので、その気持ちがなんとなくわかって、平安時代の人と繋がった気分になりました。


音をゼロから考える

満月会にいたるまでの話を少しだけ。

西洋音楽に根差した現代音楽を長く学び、ドイツ語圏で10年以上生活した後、日本の田舎生活に戻ってきた私にとって、アイデンティティクライシスは避けられないものでした。日本から海外に出た時以上に、「どうしてこれはこうなんだろう」の連続で、それが消化できずに悶々としていました。

その過程で、偶然フェミニズムの思想に出会い、社会的構造から生まれる規範や不均衡が音楽の世界にも影響を及ぼしているのではないかという疑問を抱くようになりました(フェミニズムに出会ったきっかけは、たまたま自分が企画した女性作曲家を集めたミーティングで、そこで彼女たちの声を聞いて、フェミニズム側から音楽を捉える必要性を感じたからです)。

例えば、音楽の基礎となる音程や時間の計測システムが、どんな目的で、誰によって作られたのか、それらについてもう一度自分なりに掘り下げる必要があると思いました。自身の表現を突き詰めていったときに、自分の中に他者がいることは当たり前です。ですが、その他者の中に渦巻く社会規範が自分にフィットするかどうかは人それぞれだと思います。その技術の根底にある欲求や目論見が自分の信念と真反対であることも往々にしてあると思ってます。それは目に見えるようなものではないけど、自分が大好きなものの中に異物が混入しているような感覚で、特に西洋由来の現代音楽を非西洋人がやる、もしくは白人男性が作り上げてきた西洋音楽をやるといった時に、どうしても避けられない部分なんじゃないかと思っています。

例えば、西洋楽器が改良された理由の一つとして近代国家による軍楽隊整備を挙げるとすると「音を拡大する」ことや「音を流通させる」ことの中に、自身が選び取った選択肢ではない欲求が潜んでいるのかもしれません。純粋な表現として音を扱うだけなのに、軍隊を鼓舞したり、国民を一体化させるために開発された音の要素、そしてその中にある帝国主義的価値観があるとしたら。それは自分の内部との闘いになります。

もしくは大きな建築物を支えるために小さなブロックが必要であるように、私たちが日常的に耳にする音楽も、平均律という非常に組み立てやすい音程の素材で作られていますが、音は本来連続的なものであり、これらのブロック状の音程は人工的に作られたものです。これらの人工物を使って「大きいものを作る」必要が自分の内部に本当にあるのかどうか。

一オクターブを人工的に平均分割した音律である平均律は多くの音楽において非常に効果的であり、技術的革新をもたらしましたが、その一方で、積み立てる必要のない音楽や大きな建築物を作ろうとしない音楽においては、その必然性自体が疑問でもあります。ただわたし自身は「大きなものを作る」こと自体は問題ではなく、「大きなものを作る」ために開発された「技術」や「知識」を音楽を計るためのツールにしてしまうことのほうがむしろ問題だと感じていて、その価値観を自分で検証してみたいので、自分の創作では一度このブロックを溶かして、自分で作ってみる過程を体験したいと思っています。音をなだらかな状態に戻したり、音程の間に存在するグラデーションを体験したりしながら、音を素材から考え直したいと思っていて、作品というよりはその検証自体を創作と位置付けています。


音楽と時間

音楽を司る上で、音程と共に重要なのは時間です。音楽上でいうとメルツェルのメトロノーム以降、メトロノームによって時間をコントロールすることが容易になりましたが、それ以前はもっとゆるやかなテンポ表記や表現が曲に与えられていました。産業革命によって、また印刷技術の発展と共に楽譜が流通する中で、作曲家が自身の表現を明確に届けるためにテンポを表記することが有効であったと考えられますが、このルールが画期的だったと同時に音楽のライブ性や空間性が薄まったとも考えられます。

生活に戻すと、人々はもともと大きな時間軸の中で生活をしていて、例えば、日本では明治5年に太陽暦が採用されるまで、太陰太陽暦が使用されておりそれ以前は太陰暦が用いられていました。しかし、明治の改暦により、長年人々に馴染んでいた時間の概念が大きく変化を余儀なくされたわけです。当時の人が旧暦に基づく時間感覚から即座に脱したとは到底考えられませんが、デジタルにコントロールされる現代では、当時の時間感覚を感じ取ることはできません。ある必然性で生まれた技術が当たり前になると、その前にあった感覚は失われていきます。

日の入りのための音楽と暗闇の音楽のプレスタディ

というようなことを考えていて、今回開催した自主企画「満月会」では、特に時間は指定せず、また限られた空間ではなく野外で音を楽しむこと、まただれでもが参加できる音の形を模索して、「日の入りのための音楽」と題した楽譜を書いてみました。

非常に簡単なもので、日の入りの太陽が落ちる時間に合わせて作られた色のグラデーションによる楽譜を見ながら演奏する作品です。第一弾リサーチ楽譜を公開します。

この後に日の入り後の真っ暗な空間で演奏するための「暗闇の音楽」のプレスタディとして、6色の懐中電灯を使ったデモンストレーションを行いました。

音がある歪んだ和音に紐づいていて、色を重ねることでその輪郭がぼやけたりはっきりしたり、そういう音体験をするために書いた作品です。今回は日がまだ長くて暗闇になるまで時間があったので夕方に決行しましたが、今度はもう少し時期を変えて、夕方に暗闇になる辺りで、もう一度チャレンジしようと思います(満月会では太陽暦でもなく、太陰暦を使いたいなぁ)。

次回のやまびこラボは、12/27と12/28であがたの森の予定です。できれば12/27は夜大人会と称して、大人のためのさっきょくワークショップができればと思っています。


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