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「私だからこそ」を見つけたい

「チームを組むこと」の意味は何だろう。

一人ではスキル的にできないから?
単に人手が足りないから?
誰かの活躍の場をつくるため?

どれもそうなようで、違うような気もする。
大小の差はあれど、息を吸うようにあたりまえに「チーム」が身近に存在するからこそ、そもそも何のために組むのだろう、今「チーム」と思っているものは、本当に「チーム」と言えるのだろうかと、考えてみたい。

企画メシ第3回目の講義は「バンドの企画」。

事前課題は、「今の時代にあなたがプロデュースしたい”ロックバンド”のバンド名とコンセプトを考えてください」というものだった。

そもそも、なぜこのお題が出たのか。

ロックバンド=チーム。と考えると、チームをつくるときに必要な要素って何?を考える練習なんじゃないかと思った。

ただの集団はグループ。
目的をもっているのがチーム。

どんな目的をもったチームにするのか。どんな目的であれば人を惹きつけられるのか。それを考えるための練習。

今の時代ってどんなだろう。その時代を生きる中で、存在してほしい音楽ってなんだろうを考えた。考えて、自分なりのコンセプトは決めた。このコンセプトであれば、今の時代に合っている。共感もしてもらえそう。そう思ってた。

他の企画生の企画を見て、打ちのめされた。

他の企画生の企画は、今の時代をとらえたうえで、今の時代にない音楽を企画したものばかりだった。いわゆる、前提を覆しているもの。「この前提が覆るのか!」といくつもの「!」があった。

私の企画は、どこにでもありそうな音楽に思えて、急にはずかしくなった。振り返ると、自分が好きなバンドに引っ張られたような気もする。

改めて、前提や枠を飛び出すことの難しさを感じた。でも、自分の中には常に前提があることに気づけたことはよかったと思おう。どうとっぱらうのかが、また難しいところだけど。

講義当日。講師の江森さんのこれまでの歩みや、バンド、仕事への思いを聞き、「思いの熱さ・厚さ」がひしひしと伝わってきた。

プロデュースを断るバンドさんもあるようだが、自分がバンドメンバーでプロデュースされる立場だとしたら、売れるために、より多くの人に届けるためにと伴走してくれる人の存在は、超心強いだろうなと感じた。

「委ねることで、広がっていく」というお話が心に残る。

自分たちで全部やったほうがかっこいいと思ってるバンドもいる。でもそうじゃないんだ。クリエイターと組んで委ねることで、化学反応が起きるんだ。そんなお話だった。

確かに、自分が一から完成まで全てこなせたほうが、かっこいい(部分もある)のかもしれない。でも、がんばれば自分でできることだとしても、人に委ねることの価値は大きいのだろう。

捉え方や解釈が変わり、きっと表現方法も変わる。「できた」という事実は同じだとしても、「できた」ものの中身は、一人でやったときと、誰かに委ねながらやったときで、きっと大きく違う。

これは、音楽やバンドに限らず、自分が関わる「チーム」すべてにあてはまることだと感じた。

チームを組むことの意味は、一人ではスキル的にできないことをやるためであり、人手的に足りてないことを補うことであり、誰かの活躍の場をつくるためではあるのだろう。でも、なんだかこれらはワクワクしない。事務的というか、義務的というか。

「委ねる→広がる」。

人が関わることで、その人の知識や経験、価値観、らしさがにじみ出て、生かされ、進めている物事の幅が広がり、深さが増す。だからチームを組むんだ。ここにチームを組む醍醐味があるんだ。そう考えると、すごくワクワクした。

私は、自分へ自信がないことがデフォルト。「他の人はすごいな」「自分なんて」という思考がすぐに頭を巡る。

でも、私自身がチームの一員だとすると、私がいることもきっと何らかチームの広がりに貢献しているのだろう。いるだけで貢献している部分もあるだろうし、努力が必要な部分もある。

「私にしかできないこと」はないかもしれないけど、「私だからこそできること」はたぶん見つけられるし、つくれる。それを見つけてみたい、つくっていきたい。


バンドの企画を、人生の企画へと活かしていく。




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